|
「くろ谷 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)」の「春の特別公開」に行って来ました。
金戒光明寺の歴史は「徳川が城のわかりに作った」とか「新撰組発祥の地」など、色々な話がありますが、その辺は、後日、徐々に追記して行き、今日は、まず、「春の特別公開」の写真を紹介する事にします。
「春の特別公開」についての感想を書くと「山門の公開がないと意味はないだろうな〜」「紫雲の庭だけで600円は少し高いな〜(期間限定にしないと拝観料を払って入る人は少ないだろうな〜)」という所です。
金戒光明寺の場所はこの辺です。
| |||
|
| ||
|
山門《今回、一般公開はなかったですが山門に上がらないと・・・》
| |||
|
| ||
|
阿弥陀堂《ノミおさめ如来》
| |||
|
| ||
|
御影堂《大殿》
| |||
|
| ||
|
| |||
|
| ||
|
| |||
|
| ||
|
紫雲の庭《拝観料600円》
| |||
|
| ||
|
三重の塔《山門よりも高い所にあり、見晴しは良い》
| |||
|
| ||
|
三重の塔付近から撮影 《手前から、京都市美術館、平安神宮の鳥居、京都タワー》
金戒光明寺の歴史を調べてみると、いくつかの日本の歴史的な出来事にかかわっているようです。
「法然が信空に付与した《白川本房》の旧址と伝える」とあり、平安時代末期から鎌倉時代になります。
その後、応仁の乱による荒廃などがあったが、1610年(慶長15年)徳川家康の保護を受けて、紫衣を勅許された頃から大きな役割を果たす事になった。
| 京都は古くから「攻めるのはやさしいが、守るのは難しい」と言われていたが、天皇への配慮からか京都の街中にお城を築く事はなかった。 徳川家康は、京都の守る為に「殿様は常駐しない」「天守閣はない」が、いざという時には武士を集める事ができる二条城と、高台にあって京都市内を一望できる金戒光明寺に監視塔の役割とお寺という名目で武士を集める事ができる施設として金戒光明寺の設備の充実を図りました。 金戒光明寺の三重の塔が高台の見晴らしの良い所に建てられたのも監視塔の役割があった為です。 金戒光明寺から京都御所まで2〜3kmで急げば十数分で行く事ができる地理的な条件も好都合でした。 江戸時代は徳川の保護の元で、その役割を果たし、幕末になると会津藩とのかかわりから「新撰組発祥の地」などの形で歴史に関与する事になります。 その辺の話しは、また、よく調べてから追記します。 【追記】 「秋の特別公開」で山門に上がった様子やその後の新撰組とのかかわりについて調べて、こちらで紹介していますので参考にして下さい。 | ||
2009年05月06日
「くろ谷 金戒光明寺」の「春の特別公開」(2009.5.6)
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック


















