2010年07月31日
2010年07月26日
祇園祭の《函谷鉾》(2010.7.13&17)
函谷鉾は、くじ取らずの鉾として、鉾では長刀鉾に次いで第2番目に巡行し、鉾櫓、屋根の規模は大きい方です。 鉾の名前は中国戦国時代(紀元前403〜221)斉の孟嘗君(もうしょうくん)が函谷関で家来に鶏の鳴声をまねさせて、関門を開かせて難を逃れたという故事にちなんでつけられたものです。 | |||||||||||||||||||
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7月13日の《函谷鉾》
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7月17日、《函谷鉾》が到着する所
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7月17日、《函谷鉾》がだんだん近づいてきた所
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動画で挨拶の途中から録画したので挨拶の部分はほとんど録画できていませんが、手締めの部分は録画できたので紹介します。 今年の挨拶は『皆様のご多幸をお祈りして・・・』というもので、一昨年は『皆様のお陰で無事に鉾の巡行を終える事ができまして・・・』というものだったと思います。
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《函谷鉾》がちょうど目の前で止まりました
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《函谷鉾》が到着した後の様子
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2010年07月25日
祇園祭の《菊水鉾》(2010.7.16&17)
四条室町を下がると《鶏鉾》があり、四条室町を上がった所に、この《菊水鉾》があります。 四条室町を下がると道は広くなりますが、上がると道は狭くなります。 7月16日の宵山の時は室町通りは四条から北は歩行者も南行き一方通行になっていて、四条室町から近づく事はできなかったので、宵山の時の写真は四条室町から撮影した写真しかありません。 | |||||||||||||||||||||
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7月17日に四条室町に到着する菊水鉾
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《菊水鉾》が出発地点に到着した所
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2010年07月24日
祇園祭の還幸祭《三条会の中の八坂神社御供社で見学》(2010.7.24)
又旅社に近づくと神輿行列の先頭の馬や中御座神輿は、すでに又旅社の前に到着していました。 「八坂神社御供社(又旅社)」の場所は三条黒門北西角のこの辺です。 又旅社に到着した頃に中御座神輿を差し上げ、行列は三条通りを東に行きました。 その後、東御座神輿、西御座神輿が到着して、又旅社の前でひと休みして、差し上げてから東に行きました。 又旅社のあたりは見学&撮影の場所としてはなかなか良かったです。 しかし、このあたりは道路が狭いので、お神輿が通ると両側に人1人くらいの隙間しかない所が多くあるので少し注意が必要です。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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神輿行列の先頭の馬
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中御座神輿は又旅社の前に到着
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中御座神輿の後に続く行列
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《八坂神社御供社(又旅社)》
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又旅社の中の様子
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又旅社の前で東御座神輿を差した所
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西御座神輿が到着
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又旅社の前で西御座神輿を差す所
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西御座神輿が出発して行列は終り
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2010年07月23日
八坂神社の御旅所のお神輿・還幸祭の巡行表
御旅所のお神輿の様子と7月24日の還幸祭の巡行予定表を紹介しておきます。 7月24日は土曜なので還幸祭を見学する人は参考にして下さい。 | |||
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《西御座神輿》八角形の屋根が特徴
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《中御座神輿》六角形の屋根が特徴
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《東御座神輿》屋根は四角形です
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御旅所の三基の神輿と
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子供神輿
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四条寺町東入るの八坂神社の御旅所
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7月24日の八坂神社の祇園祭の還幸祭の巡行予定表
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2010年07月22日
祇園祭の《鶏鉾》(2010.7.16&17)
室町通りは四条と綾小路の間だけ、意味もなく道が広くなっているように思えますが、祇園祭のこの時期は《鶏鉾》が建ったり、露店が出て、むしろ、狭く感じるくらいで、ここだけ道が広くなっているのも納得できます。 7月16日の午後8時半頃に通りかかると多くの人が見学したり、鉾に上がる為の行列も出来ていました。 | |||||||||||||||||||||||||||||
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《鶏鉾》の中に多くの人が上がっています
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関連グッズの売店と《鶏鉾》
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《鶏鉾》の由来
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近づいて見ると、「鉾にはブレーキはないので、くさび形の木片を車輪の下に噛ませて鉾を止める様子」や「辻回しの時に滑りやすくする為に車輪の下に竹を敷いて、水をかける様子」なども見る事ができます。 また、どういう合図で鉾を引き始めるのか見るのも面白いです。
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鉾にはブレーキはなく、くさび形の木片を車輪の下に噛ませて鉾を止めます
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車輪の下に竹を敷いて、水をかけて、滑りやすくします
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《鶏鉾》が無事に出発地点に到着しました
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2010年07月21日
祇園祭の《月鉾》(2010.7.16&17)
古事記によると「伊弉諾尊」が黄泉の国から戻り、禊祓いをされた時、左眼を洗って「天照大神」が生まれ、右眼を洗って「月読尊」が生まれ、その後、鼻を洗って「素戔鳴尊」を生まれました。 「月読尊」は夜を支配した神ですが、水徳の神でもあり、《月鉾》は、この故事に由来します。 《月鉾》の先には、横約40センチ、上下約24センチの金色の三日月が取り付けられています。 7月16日の宵山では《月鉾》に上がる為の長い行列が出来ていて、『月鉾拝観列最後尾』という看板も出ていました。 7月14日と15日の宵山は雨模様だったので、14日か15日に来るつもりだった人が16日に来て、多くの人出になったのかも知れません。 「月鉾拝観券又は、月鉾オリジナルグッズをお持ちの方のみ、お並び下さい」と書いてあったので、何か買えば鉾に上がれるようです。 長い行札に並ぶのは好きではないので、次の山鉾を見学する為に移動しました。 | |||||||||||||||||||||||
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『月鉾拝観列最後尾』の案内
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《月鉾》の様子
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宵山の《月鉾》
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その後、鉾の到着の様子を撮影する為に、四条室町あたりに移動したのですが、他の鉾を撮影していたので、月鉾は到着した後しか撮影できませんでした。
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月鉾が河原町御池に到着する所
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月鉾が出発した所に到着した後
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月鉾が到着して片づけを始める所
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2010年07月20日
祇園祭の《船鉾》(2010.7.16&17)
船鉾は日本書紀に登場する神功皇后(じんぐうこうごう)の新羅出船の説話により鉾全体が船の形をしていて、特徴のある形で人気のある鉾の一つです。 船首には中国の想像上の瑞鳥である金色の鷁(げき)、船尾には飛龍文様の舵を付けています。 船鉾拝観は700円ですが、それでも人気があり、行列が出来ていて、夜10時前に行った時は新規拝観の受付は終了していて、それまでに並んでいた人が鉾に上っていました。 | |||||||||||||||||||
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《船鉾》船首には中国の想像上の瑞鳥である金色の鷁(げき)
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船鉾拝観 700円
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これから鉾に入る人たち
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《船鉾》に入った人たち
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梃子の棒を入れて、鉾を少し持ち上げて、車輪を外します。 この車輪が重いので左右と前後の6人がかりで支えながら転がして倉庫まで運びます。 おそらく、横に倒してしまうと簡単に立てる事は出来ないので、横に倒す事はないと思われます。
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《船鉾》の車輪を外す前
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車輪を外す為に鉾を持ち上げるのに梃子(てこ)の棒を入れた所
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2010年07月19日
祇園祭の《長刀鉾》(2010.7.16&17)
実は7月17日の山鉾巡行の日は行く時間が少し遅く、巡行が終わって到着した直後に行ったので、17日は到着後の写真になりますが、16日の宵山は鉾の中に入ったので、そちらを主に紹介します。 長刀鉾の売店で何か買うと(500円で手拭い、栞、根付けなど)鉾に上がれます。 午後10時20分頃に行ったら鉾には多くの人が上がっていましたが、上がれるのは午後10時半頃までのようでギリギリに入ったら次第に人が少なくなり、ゆっくり見学できました。 | |||
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長刀鉾を横から見た所(多くの人が上がっています)
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建物の中に入って階段を上がると
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色々な展示物
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渡り廊下を渡ると
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鉾の中(まだ、人は多い)
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長刀鉾から外を見た所
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長刀鉾から渡り廊下と建物を見た所
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長刀鉾の中の様子
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鐘と笛の演奏が練り歩いています(長刀鉾から見た所)
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提灯の灯りも消えたので
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鉾から出て長刀鉾を見た所
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8月17日の長刀鉾の巡行を終えて到着した所
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8月17日の長刀鉾の巡行を終えて到着した所
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2010年07月18日
祇園祭の八坂神社・神幸祭(2010.7.17)
午後5時前に行くと最初のお神輿の《中御座神輿》が拝殿から出て、拝殿のまわりを回る所でした。 そして、《東御座神輿》《西御座神輿》が拝殿から出されて、南楼門から出て行きました。 その後、西楼門の前、四条東大路の三叉路で三基の神輿が集まり、その後、お神輿は各町内に向かいました。(以降は写真の下の説明を参考にして下さい) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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《中御座神輿》が拝殿のまわりを回る所
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《中御座神輿》が南楼門から出てゆく所
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その後、お祭の行列が南楼門から出て行きました
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《西御座神輿》が南楼門を出て行く所
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西楼門の前(四条東大路)に三基の神輿が並んだ所
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