2009年11月19日

晩秋の比叡山延暦寺(2009.11.19)

比叡山延暦寺の入り口
(拝観料550円)

大講堂に続く参道

 「平安京の鬼門除け」として、「京都御所の猿が辻」「幸神社」「赤山禅院」「日吉神社」などがある事を紹介してきました。 京都という地形自体が北東に比叡山があり、比叡山が鬼門除けの役割をしていますが、さらに鬼門除けとして延暦寺を建立したと言われています。
 「京都の鬼門除け」として紹介しているので比叡山延暦寺も紹介しようと思って、紅葉の終盤になるこの時期に行ってきました。
 拝観券に『比叡山延暦寺は、今から凡そ1200年前伝教大師最澄上人が都の東北である鬼門を護り、』と説明されていましたが、この記述以外は特に「鬼門除け」を思わせるようなものはありませんでした。 猿の像もありません。 野生の猿も見られるかと思ったのですが、最近、野生の猿のかわりに野生の鹿が多くなったという事で野生の猿も見かけませんでした。
 もらったパンフレットには『法然、栄西、親鸞、道元、日蓮などの修行の場』『世界文化遺産』という点がアピールされており、「織田信長の焼き討ち」については特に書かれていませんでした。 比叡山延暦寺の場所はこの辺です。

比叡山延暦寺の大講堂

大講堂横の紅葉

大講堂横の鐘

【動画】鐘を撞く人


 大講堂の横に鐘があり、自由に撞く事ができます。 「連打禁止」の注意書きはあります。

 比叡山延暦寺は山の上なので京都市内より寒いです。
 春は約1ヶ月遅れで、5月の連休の頃に桜の花が咲きます。 秋は半月から1ヶ月早く訪れて、11月19日で晩秋という感じで、楓の紅葉も後半から終盤という状態でした。

根本中堂に降りる階段

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2009年11月07日

滋賀県の日吉大社《平安京の表鬼門鎮座》(2009.11.7)

《日吉大社》の鳥居

鳥居をくぐると
紅葉が始まっていました

拝観協賛料大人300円

 「京都の鬼門封じの猿」をシリーズで紹介しているからには、比叡山の東の日吉大社も紹介する必要があると思っていましたが、そろそろ紅葉も始まっているだろうと思って行ってきました。
 日吉大社は平安京の鬼門封じの為に創祀されたのかと思ったら、日本書紀にも東本宮のご祭神である大山咋神は登場し、第10代崇神天皇(すじんてんのう)が創祀したと伝えられています。(崇神天皇の実在説と非実在説があり、これは神話の可能性があります)
 比叡山の東の尾根にある牛尾山の大山咋神が最初に祀られた地主神で、のちに668年(天智7年)に三輪の大己貴(おおなむち)神を比叡の山口に勧請して大比叡神として大宮とよばれて西本宮にまつられ、大山咋神は小比叡神とされて東本宮にまつられました。
 平安遷都で、鬼門除けに比叡山に延暦寺が建立されると、天台宗の護法神として、天台宗の興隆にともなって信仰を集め、平安京の鬼門除けの役割も担うことになりました。
 しかし、武装した比叡山の僧徒たちが、日吉社の霊威を背景に神輿をかついで入京して、寺家側の主張を通すための手段として利用した事もあり、織田信長により1571年(元亀2年)、比叡山の延暦寺と共に日吉大社も焼き討ちされました。
 その後、豊臣秀吉の援助により復興し、1583年(天正11年)から1601年(慶長6年)の間に上七社の造営がほぼ完成しました。 ちなみに、豊臣秀吉は1598年8月に亡くなっています。

 日吉大社の入り口はこの辺で、京都から車で何回か琵琶湖に行った事のある人なら、道がカーブした所にある鳥居の前を通った事もあるかと思います。
 鳥居をくぐると紅葉が始まっていました。 もう少し歩くと「拝観協賛料大人300円」と書かれた入り口があります。 この中に入ると普通に散策しても30〜40分かかります。(八王子山に登ると片道30分かかるそうで、階段と急な坂道で途中で諦めて引き返しましたが、ほとんどの人は最初から登っていません)

日吉大社の全景図
(修学旅行生もいました)

大宮橋付近の紅葉
(ここで写真を撮る人も多い)

大宮橋から走井橋を見た所

紅葉の参道が続きます


変わった形の山王鳥居
神仏習学の信仰を表します

神猿舎と神馬舎

神馬は木の馬

神猿は生きたお猿さん

西本宮の楼門

 さらに参道を進むと「西本宮楼門」「西本宮本殿」がありますが、実は西本宮楼門の四隅の軒下に木造のお猿さんがいるのに気が付かず、一周回った後でパンフレットで見て、再び、引き返して撮影した軒下の「軒持ち猿」の写真を紹介します。

 拝殿の横でお守りや鬼門除けグッズを売っていたので《神猿みくじ300円》と《神猿木彫(小)1500円》を買いました。

向かって右手の楼門の軒下の「軒持ち猿」

向かって左手の楼門の軒下の「軒持ち猿」(少しポーズが違います)

西本宮の拝殿
(鈴が5つも付いています)

西本宮の本殿の説明
(1586年復興)

西本宮の本殿(ロープが張られていて正面には立ち入れません)

拝殿横で《神猿みくじ300円》と《神猿木彫(小)1500円》を買いました

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2009年09月07日

新日吉神社のご神猿

新日吉神社の鳥居(鳥居の前には狛犬)

新日吉神社の楼門

新日吉神社の拝殿

 新日吉神社(いまひえじんじゃ)には「狛犬」のかわりに「狛猿」がいるという事で行ってきました。 以前、このブログでも新日吉神社の《神幸祭:新日吉祭》を紹介しています。 新日吉神社の場所はこの辺で、東山七条を東に入った所にあります。

 鳥居の前には神社でよく見かける「狛犬」がいますが、鳥居をくぐり、境内を進むと、本殿の手前の階段を上がった両側に「猿(ご神猿)」がいます。 左側(北側)の猿は瞑想の表情をしていますが、右側(南側)の猿は歯をむいて怒っているような表情をしています。 右側(南側)の猿の横には「ご神猿御守りとして携帯電話の待ち受け画面にお入れ下さい。」という説明もあります。(時代の流行を取り入れたアピールです)

 京都御所や平安京の鬼門除けとして、《幸神社》や《赤山禅院》を建てた事は説明しましたが、新日吉神宮は、京都御所や平安京の鬼門除けとしては、かなり南で、方角が違います。

 新日吉神宮は、後白河上皇が院の御所(法住寺殿)の鎮守社として、延暦寺の地主神・鎮守神として比叡山東麓の坂本に祀られていた「日吉山王七社(日吉大社)」を勧請(神仏の分霊を他の場所に移し、祀ること)したのが始まりです。 法住寺殿は、現在の三十三間堂あたりにありました。

 新日吉神宮は皇室からの崇敬も篤く栄えたが、応仁の乱(1467〜77年)などの戦火により社殿が荒廃、衰退した。その後、度々再建が行われて、現在の本殿は天保6年(1835年)に再建された建物です。 場所も転々としていて、当初は現在地から1kmほど南の今熊野瓦坂(智積院の南あたり)創建されたが、江戸時代になって豊国廟社が壊されたのと同時期に旧廟前に移り、さらに明治30年(1897年)に現在の場所に移っています。

本殿の手前の両側に猿(丸印の所)

左側(北側)の猿《瞑想の表情》

右側(南側)の猿《歯をむいて怒っているような表情》

左側(北側)の猿

右側(南側)の猿

ご神猿の説明

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2009年09月05日

赤山禅院《鬼門除けの猿》

《赤山禅院》の拝殿の屋根の上に注目

屋根の上の猿をズームで撮影

 京都御所の北東、比叡山の手前に《赤山禅院(せきざんぜんいん)》があり、拝殿の屋根の上に猿がいて、拝殿には『皇城表鬼門』と書かれています。

 京都御所の「猿が辻」のページで説明した京都御所の鬼門除けの猿がここにもいます。 某サイトでは「京都御所の猿が辻の猿と向き合っている」と説明されていますが、上空からの写真を見ても拝殿はほとんど南向きで、わずかに西に向いており、この角度では京都御所の方向を向いているとは言えません。(正確に南向きか、京都御所の南西向きに建てなかったのか少し疑問に思う所です)

 赤山禅院の場所はこの辺です。 縮尺を75000分の1にすると京都御所の北東の方向にある事がわかります。 しかし、東北よりやや北よりにありますが、平安京が出来た時の大内裏(平安宮)は,現在の北は一条通、南は二条通、西は御前通、東は大宮通のエリアにあったそうなので、平安宮から見ると北東の位置になるのでしょう。

右手に『皇城表鬼門』の表示

上空からの写真(ほぼ南向き)

《赤山禅院》の鳥居

鳥居をくぐると長い参道が続く

 赤山禅院はちょっと変わっていて、比叡山延暦寺の別院で、お寺なのに鳥居があり、『赤山大明神』と書かれています。 比叡山延暦寺は平安京や京都御所の鬼門除けに建てられてお寺なので、その別院である赤山禅院が鬼門除けの役目をしているのも納得できます。

 赤山禅院は、遣唐使として中国に渡った慈覚大師円仁が山東半島にある赤山に立ち寄って明神に参拝をし、帰国の時、嵐に遭い船が転覆しそうになりましたが、赤山明神の泰山府君に護られて事なきを得たので、慈覚大師は比叡山西麓へ勧請を約束し、その弟子である天台座主・安慧(あんえ)が、仁和4年(888年)、師の慈覚大師円仁の遺命によって、泰山府君を祀って守護神として創建されました。 赤山禅院は、泰山府君を祀っているので陰陽道の信仰も集めています。

 そんな訳で神仏混合のお寺になっています。 赤山禅院は紅葉が美しく、平安時代には、紅葉は頃、境内の池に船を浮かべて宴が催されたという事なので紅葉の時期にも訪れてみたいと思っています。

階段を上がると境内

赤山禅院の説明の駒札

《赤山禅院》の神殿の前の正念誦(正念珠)

最後に屋根の上の猿のアップをもう1枚紹介

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2009年08月31日

京都御所北東角(猿が辻)と幸神社の猿

京都御所の北東角《猿が辻》
(○印あたりに猿)

 京都御所の北東角だけ、塀が凹んでいて、その軒下に木彫りの猿が祀られていて、この角は「猿が辻」と呼ばれています。 陰陽道では、北東の方角を「鬼門」と言って「邪気の来る方角」と考えられており、「邪気封じ」の為と言われています。 京都御所の猿が辻の場所はこの辺です。

 京都は地形的に「鬼門」である北東には比叡山があり、邪気の侵入を防ぐ役割をしていて、比叡山には延暦寺を建立しています。 比叡山の琵琶湖側の麓には日吉大社があり、日吉大社では猿が神の使いで「神猿(まさる)」と言って、「神猿」は「魔去る・勝る」に通じる事から猿を祀ったと言われています。
 また、方角を十二支で表現して、北東と対角の方角である「猿」を「鬼門」の「邪気封じ」に祀ったと言われています。 桃太郎が鬼退治の家来に「犬」「猿」「きじ」を連れて行ったのも「鬼門」と対角の方角の動物なので鬼退治の助っ人になるという事から連れて行ったと言われており、北東の方角は「丑寅」なので鬼の頭には「牛の角」があり、「虎柄のパンツ」を穿いていると言われています。

京都御所の猿が辻の猿

《幸神社》の鳥居

 出町商店街の西の住宅街に《幸神社(さいのかみのやしろ)》という小さな神社があります。 《幸神社》は、京都御所の北東の方向にあり、鬼門除け守護神として建てられたものです。 (《幸神社》については説明文をクリックして大きな画像にして読んで下さい)

 《幸神社》の本殿の北東にも猿が祀られています。 こちらの猿は格子の向こうの本殿の軒下にあり、よく探さないと見つかりません。 また、京都御所の猿が辻の猿も、《幸神社》の猿も、東の方向(猿の顔は北東の方向)を向いています。 《幸神社》の場所はこの辺です。

《幸神社》の本殿

《幸神社》の説明文

格子の奥の○印あたりに猿

絵馬には猿の絵

《幸神社》の本殿の東北角の《猿》

posted by 京都情報 at 04:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 京都の鬼門封じの猿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする