2009年05月16日

下御霊神社の還幸祭は5月24日

寺町通から下御霊神社を撮影

鳥居をくぐって中に入った所

 先日、上御霊神社を紹介しましたが、今日は下御霊神社に立ち寄ってみました。 下御霊神社は、元々、出雲路の上御霊神社の南にあり、その後、新町出水に移され、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の都市整備にともない現在地に遷座しました。 また、豊臣秀吉が、この辺りにお寺や神社を集めた事から「寺町通」と名づけられました。

 下御霊神社は、寺町丸太町を少し下がった東側のこの辺にあります。 今まで、この前を何度も通った事はありますが、京都にはお寺や神社が多く、これが下御霊神社という名前だったとは気が付きませんでした。

 下御霊神社に行くと「還幸祭 5月24日(日)」のポスターや神輿の巡行コースの案内があったので撮影して来たので参考にして下さい。 下御霊神社では上御霊神社と同様、お祭の前なので神輿が展示されていました。

【追記】 下御霊神社の還幸祭は様子はこちらで紹介しています。

若宮神輿と大宮神輿

神輿を反対側から撮影

鳳れん形神輿

猿田彦神輿《子供神輿》

本殿《寛政3年(1791年)聖護院宮の内侍所仮殿を移建》

「還幸祭」の案内《クリックすると大きな画像で見られます》



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2009年05月12日

上御霊神社《御霊神社》の御霊祭は5月18日

上御霊神社の鳥居
上御霊神社の鳥居

上御霊神社の拝殿
上御霊神社の拝殿

 京都では、通称「上御霊神社」ですが、正式な名前は「御霊神社」です(「御陵神社ではありません」)。 「上御霊神社」という名前から「下御霊神社」もありそうですが、昔は、すぐ近くにありましたが、現在は「下御霊神社」は寺町丸太町下ルにあります。
 「御霊」とは政争に巻き込まれて非業の死をとげた人の霊のことで、当時、しばしば悪疫が流行し、これを御霊の祟りと考えて、祀ったといわれています。 桓武天皇の時代、各地で疫病が流行し、これは御霊の祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催されました。 この時に慰霊された御霊は、崇道天皇、伊予親王、藤原夫人、観察使(藤原仲成)、橘逸勢、文屋宮田麿らで、この御霊会が上御霊神社および下御霊神社の創祀であるとしています。

 また、室町時代の文正2年(1467年)1月18日、失脚した管領の畠山政長と畠山義就との私闘(個人的な恨みによる闘い)が上御霊神社境内の森で行われ、御霊合戦は翌年勃発の応仁の乱の前哨戦となり、応仁の乱勃発の地とされています。

 御霊祭は毎年5月18日に行なわれますが、御霊祭の(行列の順路図などの)情報収集の意味もあって上御霊神社に立ち寄ってみました。 ちなみに、御霊祭は明治までは8月18日(旧暦)に行われていて、京都(洛中)で最も古いお祭と言われています。 上御霊神社の場所はこの辺です。

【追記】 上御霊神社の御霊祭は様子はこちらで紹介しています。

拝殿には「小山郷」「今出川口」「末廣」の三基の神輿

拝殿の神輿を横から撮影

「御霊祭」の案内《クリックすると大きな画像で見られます》

上御霊神社の本殿



上御霊神社の境内に咲いていたイチハツ

【追記】(2013.5.6)
 この時期、上御霊神社にはイチハツ(一初)が咲いているので有名なのですが、この時は、まだ、知らず、イチハツの写真を撮ってきませんでしたが、4年後に撮ったイチハツの写真を紹介しておきます。

 イチハツは、上御霊神社の境内の南側や南側のお堀にたくさん咲いています。 なぜか、境内の北の方にはイチハツは咲いていませんでした。

これは南門から入って右手になります

これは南門から入って左手に咲いていたイチハツ

これは上御霊神社の南門

南門から右(東)側の堀のイチハツ

上御霊神社の南門の左(西)側のお堀に咲いていたイチハツ

お堀に咲いていたイチハツをアップで撮影

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2009年05月11日

菅大臣天満宮【お祭の後】(2009.5.10)

菅大臣天満宮の南門
菅大臣天満宮の南門

菅大臣天満宮の西門
菅大臣天満宮の西門

 「天満宮」は全国にありますが「菅大臣天満宮(かんだいじんてんまんぐう) 」は「もと道真の邸」「菅家廊下といわれた学問所の跡」で誕生の地と伝えられています。 「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と詠まれた飛梅の地も、この菅大臣天満宮です。 古くは天神御所紅・白梅殿とも呼ばれ、境内には本殿、幣殿ほか多くの社殿が建ち、本殿はもと下鴨神社の本殿を1869年(明治2年)に移築したもので、幣殿と合わせて八棟造り、銅巻柿葺の豪華な建築です。
 5月9日と10日に菅大臣天満宮の例祭があったので立ち寄ってみたのですが、行った時間が遅く、後片付けの様子と神社の中の様子を見てきたので紹介します。 最後のイベントの餅つきはやっていました。 たこ焼きなどの露店も地元の人がやっているみたいで、おそらく、町内会で券を発行して、その券でたこ焼きやお餅がもらえるようです。 外部の人はお金を払って買います。 様子を見ていると町内会と神社が協力してイベントをやっているという感じでした。 菅大臣天満宮の場所はこの辺です。

鳥居と本殿

《菅大臣天満宮》の駒札

《菅大臣天満宮》の本殿

本殿の中

本殿横のつつじ

餅つき《薪で餅米を蒸しているあたりはこだわっている?》

露店は町内の人がやっています

お祭りからお帰り

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2009年05月06日

「くろ谷 金戒光明寺」の「春の特別公開」(2009.5.6)

 「くろ谷 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)」の「春の特別公開」に行って来ました。 金戒光明寺の歴史は「徳川が城のわかりに作った」とか「新撰組発祥の地」など、色々な話がありますが、その辺は、後日、徐々に追記して行き、今日は、まず、「春の特別公開」の写真を紹介する事にします。 「春の特別公開」についての感想を書くと「山門の公開がないと意味はないだろうな〜」「紫雲の庭だけで600円は少し高いな〜(期間限定にしないと拝観料を払って入る人は少ないだろうな〜)」という所です。 金戒光明寺の場所はこの辺です。

山門《今回、一般公開はなかったですが山門に上がらないと・・・》

阿弥陀堂《ノミおさめ如来》

御影堂《大殿》



紫雲の庭《拝観料600円》

三重の塔《山門よりも高い所にあり、見晴しは良い》

三重の塔付近から撮影
《手前から、京都市美術館、平安神宮の鳥居、京都タワー》

 金戒光明寺の歴史を調べてみると、いくつかの日本の歴史的な出来事にかかわっているようです。 「法然が信空に付与した《白川本房》の旧址と伝える」とあり、平安時代末期から鎌倉時代になります。 その後、応仁の乱による荒廃などがあったが、1610年(慶長15年)徳川家康の保護を受けて、紫衣を勅許された頃から大きな役割を果たす事になった。
 京都は古くから「攻めるのはやさしいが、守るのは難しい」と言われていたが、天皇への配慮からか京都の街中にお城を築く事はなかった。 徳川家康は、京都の守る為に「殿様は常駐しない」「天守閣はない」が、いざという時には武士を集める事ができる二条城と、高台にあって京都市内を一望できる金戒光明寺に監視塔の役割とお寺という名目で武士を集める事ができる施設として金戒光明寺の設備の充実を図りました。 金戒光明寺の三重の塔が高台の見晴らしの良い所に建てられたのも監視塔の役割があった為です。 金戒光明寺から京都御所まで2〜3kmで急げば十数分で行く事ができる地理的な条件も好都合でした。
 江戸時代は徳川の保護の元で、その役割を果たし、幕末になると会津藩とのかかわりから「新撰組発祥の地」などの形で歴史に関与する事になります。 その辺の話しは、また、よく調べてから追記します。

【追記】
 「秋の特別公開」で山門に上がった様子やその後の新撰組とのかかわりについて調べて、こちらで紹介していますので参考にして下さい。

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2009年05月05日

兎の岡崎神社(2009.5.5)

岡崎神社の鳥居

鳥居の横の案内

岡崎神社の本殿

 今日は岡崎神社の紹介です。 岡崎神社の歴史を調べてみると、延暦13年(794年)に、桓武天皇が平安京の鎮護のために四方に建立した社の一つで、都の東に配された事から「東天王社」と称されています。 東天王社はもともと北白川の地で祀られていたが、弘仁年間(810〜824年)の社殿の炎上後、貞観11年(869年)播磨国広峰(兵庫県姫路市)から改めて牛頭天王(素盞鳴命)を勧請して、現社地に祭祀した。 その後、牛頭天王は感神院(現八坂神社)に移し祀られています。

 応仁元年(1467年)の兵火や享禄4年(1531年)の兵乱で焼失したが岡崎村の産土神として再建される。 岡崎村一帯には野兎が多く、東天王社は兎が氏神様のお使いとされ、その後、「兎の岡崎神社」として、兎は多産なことから子授けにご利益があるとして「子授けの神様」として祈願信仰されています。

 岡崎神社の場所はこの辺です。 平安神宮や京都市美術館から東北の方向に歩いて数分の所で、南禅寺から西北の方向に歩いて10分弱の所で、岡崎神社から西に数分の所に銀閣寺に続く「哲学の道」があり、近くの名所や観光地へのアクセスも良いので「ついでに寄る」のも良いでしょう。
 また、岡崎神社の北西には「くろ谷 金戒光明寺」があり、岡崎神社の西側の細い道を北上し、階段を上がって行くと大きなお寺が出現します。 岡崎神社の前には「岡崎神社前」という市バスのバス停もあります。

手水舎に鎮座する子授け兎

手水舎の兎と絵馬

本殿横のこもかむりの横の白いものに注目



左右に白い兎が鎮座

岡崎神社の境内のつつじも満開

本殿あたりから見た舞台

【追記】(2010.4.10)
 本殿から鳥居の方向を見ると舞台があり、その手すりに左右に6つづつ兎が並んでいます。
 これは社務所で売られている《うさぎみくじ(500円)》を参拝者が置いていったものでしょう。

うさぎみくじ(500円)

手すりに並べられたうさぎ

左右に6つづつ並べられていたうさぎ

【追記】(2010.10.16)
 平成22年10月1日、岡崎神社に狛兎が登場しました。 狛兎について詳しくはこちらを参考にして下さい。

左側の口を閉じた狛兎

右側の口を開けた狛兎

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2008年11月12日

紅葉の円通寺【比叡山の借景】(2008.11.12)

円通寺の庭
円通寺の庭(比叡山の借景)

比叡山をズームアップ
比叡山をズームアップ

さらに比叡山をズームアップ
さらに比叡山をズームアップ

 そろそろ紅葉も見ごろかと思って、ぶらりと円通寺に行ってきました。 しかし、「紅葉は始まった所」という感じで、円通寺で貰ったパンフレットを見ると見頃には庭の木の一面が色づき、また、比叡山の山の麓が色づくのが見られるそうです。

 円通寺の庭はバックの比叡山を庭の風景の一部として取り入れて「借景」と言われています。 円通寺の建物は三千院などと比べると小さく、庭も質素ですが、比叡山を庭の風景に取り入れるとはスケールが大きいと思います。

 パンフレットの写真では手前の庭とバックの比叡山が綺麗に写っているのですが、しょぼいデジタルカメラでは手前の庭に露出があってバックの比叡山が白く写ってしまいます。 デジタルズームで比叡山を大きく写してみたら比叡山に露出があって、少し綺麗に写す事が出来ました。

 以前は円通寺の入り口に「撮影禁止」と書いてありましたが、平成12年10月12日から「借景の庭の撮影のみ可(建物や他の庭の撮影は禁止)」に変更になったそうです。確かに、「いつ、ビルが建って比叡山の借景が見られなくなるかわからないので撮影しておいて下さい」とアピールした方が「ビル建設反対」について多くの人を味方につける事ができるでしょう。

庭の木の紅葉
円通寺に入る時にもらったパンフレットの写真を引用

庭の木の紅葉
円通寺の庭の木の紅葉

円通寺に行く急な坂道

 円通寺は少し交通の便が悪いです。 バスで行くと少し歩かないといけないし、車で行く場合、始めての人は迷うかも知れません。 まず、南から行くと車がすれ違う事ができるかどうかという幅の道が続いて、急な上り坂になります。 上り坂を上るとすぐに円通寺がありますが「円通寺参道」の標識があまり目立たないので見逃す恐れがあります。 円通寺参道の道に入ると迷う事はないでしょう。
 無料駐車場は十数台分ありますが、バス用の駐車場はなく、パンフレットにも「団体(30名)の場合は前もってお申込下さい。」と書いてあります。 「円通寺」の場所はこの辺です。 拝観料は大人1人500円です。

「25%」の道路標識

「円通寺参道」の標識

円通寺の入り口

入り口を入って左手の鐘

右手が円通寺の建物の入り口

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2008年08月03日

東寺の五重塔

 京都の名所は色々ありますが、東寺の五重塔は高さ54.8mで木造塔としては日本一の高さで今でも京都のシンボル的な存在と言えます。 国宝にもなっており、新幹線に乗って京都から大阪に動き出すと左手に東寺の五重塔が見えます。
 東寺は毎月21日に屋台や古道具屋、植木屋の露店が並ぶ事でも有名で、客層も年配の人が多く、東京の人なら「とげぬき地蔵」を連想する人もいるかも知れません。 東寺の場所はこの辺です。

toji.jpg

toji2.jpg

【追記】(2010.4.7)
 桜の時期の東寺の写真を撮ってきたので紹介しておきます。 毎月21日の縁日の様子は、こちらこちらなどで紹介しています。

シダレザクラと五重塔

西から撮影した五重塔

北から撮影した五重塔

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2008年07月13日

晴明神社

晴明神社の鳥居
晴明神社の鳥居

晴明神社の本殿
晴明神社の本殿

一条戻橋の欄干を境内に復元
一条戻橋の欄干を境内に復元

「陰陽師グッズ」を売っているお店
「陰陽師グッズ」を売っているお店

 昨日、紹介した堀川中立売を少し上がった所に晴明神社があります。 (「上がる」「下がる」というのは京都独特の言い方のようで「北上」する事を「上がる」、「南下」する事を「下がる」と言います)

 鳥居には、普通、神社の名前が書かれていますが、晴明神社のシンボルである☆印が描かれているのも、こうして見ると貫禄を感じます。

 ☆印は宇宙をあらわし、その中心は厄除けの意味があり、境内では☆印のお守りも売られています。

 陰陽師ブームで安部晴明が注目されるようになり、晴明神社に参拝する人も多くなったのか、境内も小奇麗に整備されています。

 「あの世」と「この世」をつなぐとされた一条戻橋は安部晴明と関係が深く、平成7年に橋を架け替える際、橋の欄干を晴明神社の境内に復元したという事です。

 伝説では、晴明の父の保名が蘆屋道満(あしやどうまん)に殺害された場所で、晴明が呪法を駆使して保名を蘇生させた場所でもあります。 また、晴明は二人の式神(しきがみ)を、この橋の下に隠していたとされます。

 延喜18年(918)、死んだ文章博士・三善清行の葬列が、この橋を渡っている際に、 息子の祈りによって蘇生したという伝説もあります。

 晴明神社の隣に「陰陽師グッズ」を売っているお店があるのも「陰陽師ブーム」によるものでしょう。

 晴明神社の公式のHPもあったので参考にして下さい。
晴明神社
京都市上京区堀川通り一条上る806
рO75−441−6460
9:00〜18:00 無休
晴明神社の場所はこの辺です。

晴明神社の二の鳥居から本殿を見た所

posted by 京都情報 at 21:16 | Comment(2) | TrackBack(0) | お寺や神社の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする