下御霊神社は、寺町丸太町を少し下がった東側のこの辺にあります。 今まで、この前を何度も通った事はありますが、京都にはお寺や神社が多く、これが下御霊神社という名前だったとは気が付きませんでした。 下御霊神社に行くと「還幸祭 5月24日(日)」のポスターや神輿の巡行コースの案内があったので撮影して来たので参考にして下さい。 下御霊神社では上御霊神社と同様、お祭の前なので神輿が展示されていました。 【追記】 下御霊神社の還幸祭は様子はこちらで紹介しています。 | |||||
![]() |
![]() | ||||
若宮神輿と大宮神輿
|
神輿を反対側から撮影
| ||||
![]() |
![]() | ||||
鳳れん形神輿
|
猿田彦神輿《子供神輿》
| ||||
![]() |
![]() | ||||
本殿《寛政3年(1791年)聖護院宮の内侍所仮殿を移建》
| |||||
![]() |
![]() | ||||
「還幸祭」の案内《クリックすると大きな画像で見られます》
|
2009年05月16日
下御霊神社の還幸祭は5月24日
2009年05月12日
上御霊神社《御霊神社》の御霊祭は5月18日
「御霊」とは政争に巻き込まれて非業の死をとげた人の霊のことで、当時、しばしば悪疫が流行し、これを御霊の祟りと考えて、祀ったといわれています。 桓武天皇の時代、各地で疫病が流行し、これは御霊の祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催されました。 この時に慰霊された御霊は、崇道天皇、伊予親王、藤原夫人、観察使(藤原仲成)、橘逸勢、文屋宮田麿らで、この御霊会が上御霊神社および下御霊神社の創祀であるとしています。 また、室町時代の文正2年(1467年)1月18日、失脚した管領の畠山政長と畠山義就との私闘(個人的な恨みによる闘い)が上御霊神社境内の森で行われ、御霊合戦は翌年勃発の応仁の乱の前哨戦となり、応仁の乱勃発の地とされています。 御霊祭は毎年5月18日に行なわれますが、御霊祭の(行列の順路図などの)情報収集の意味もあって上御霊神社に立ち寄ってみました。 ちなみに、御霊祭は明治までは8月18日(旧暦)に行われていて、京都(洛中)で最も古いお祭と言われています。 上御霊神社の場所はこの辺です。 【追記】 上御霊神社の御霊祭は様子はこちらで紹介しています。 | |||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() | ||||||||||||||||||||||||
拝殿には「小山郷」「今出川口」「末廣」の三基の神輿
| |||||||||||||||||||||||||
![]() | |||||||||||||||||||||||||
拝殿の神輿を横から撮影
| |||||||||||||||||||||||||
![]() | |||||||||||||||||||||||||
「御霊祭」の案内《クリックすると大きな画像で見られます》
| |||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() | ||||||||||||||||||||||||
上御霊神社の本殿
|
|
この時期、上御霊神社にはイチハツ(一初)が咲いているので有名なのですが、この時は、まだ、知らず、イチハツの写真を撮ってきませんでしたが、4年後に撮ったイチハツの写真を紹介しておきます。 イチハツは、上御霊神社の境内の南側や南側のお堀にたくさん咲いています。 なぜか、境内の北の方にはイチハツは咲いていませんでした。
| ![]()
これは南門から入って右手になります
|
| ![]()
これは南門から入って左手に咲いていたイチハツ
|
| ![]()
| ![]()
これは上御霊神社の南門
|
南門から右(東)側の堀のイチハツ
|
| ![]()
上御霊神社の南門の左(西)側のお堀に咲いていたイチハツ
|
| ![]()
お堀に咲いていたイチハツをアップで撮影
| |
2009年05月11日
菅大臣天満宮【お祭の後】(2009.5.10)
5月9日と10日に菅大臣天満宮の例祭があったので立ち寄ってみたのですが、行った時間が遅く、後片付けの様子と神社の中の様子を見てきたので紹介します。 最後のイベントの餅つきはやっていました。 たこ焼きなどの露店も地元の人がやっているみたいで、おそらく、町内会で券を発行して、その券でたこ焼きやお餅がもらえるようです。 外部の人はお金を払って買います。 様子を見ていると町内会と神社が協力してイベントをやっているという感じでした。 菅大臣天満宮の場所はこの辺です。 | |||||
![]() |
![]() | ||||
鳥居と本殿
|
《菅大臣天満宮》の駒札
| ||||
![]() | |||||
《菅大臣天満宮》の本殿
| |||||
![]() |
![]() | ||||
本殿の中
|
本殿横のつつじ
| ||||
![]() | |||||
餅つき《薪で餅米を蒸しているあたりはこだわっている?》
| |||||
![]() |
![]() | ||||
露店は町内の人がやっています
|
お祭りからお帰り
|
2009年05月06日
「くろ谷 金戒光明寺」の「春の特別公開」(2009.5.6)
「くろ谷 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)」の「春の特別公開」に行って来ました。
金戒光明寺の歴史は「徳川が城のわかりに作った」とか「新撰組発祥の地」など、色々な話がありますが、その辺は、後日、徐々に追記して行き、今日は、まず、「春の特別公開」の写真を紹介する事にします。
「春の特別公開」についての感想を書くと「山門の公開がないと意味はないだろうな〜」「紫雲の庭だけで600円は少し高いな〜(期間限定にしないと拝観料を払って入る人は少ないだろうな〜)」という所です。
金戒光明寺の場所はこの辺です。
| |||
![]() |
![]() | ||
山門《今回、一般公開はなかったですが山門に上がらないと・・・》
| |||
![]() |
![]() | ||
阿弥陀堂《ノミおさめ如来》
| |||
![]() |
![]() | ||
御影堂《大殿》
| |||
![]() |
![]() | ||
| |||
![]() |
![]() | ||
| |||
![]() |
![]() | ||
紫雲の庭《拝観料600円》
| |||
![]() |
![]() | ||
三重の塔《山門よりも高い所にあり、見晴しは良い》
| |||
![]() |
![]() | ||
三重の塔付近から撮影 《手前から、京都市美術館、平安神宮の鳥居、京都タワー》
金戒光明寺の歴史を調べてみると、いくつかの日本の歴史的な出来事にかかわっているようです。
「法然が信空に付与した《白川本房》の旧址と伝える」とあり、平安時代末期から鎌倉時代になります。
その後、応仁の乱による荒廃などがあったが、1610年(慶長15年)徳川家康の保護を受けて、紫衣を勅許された頃から大きな役割を果たす事になった。
| 京都は古くから「攻めるのはやさしいが、守るのは難しい」と言われていたが、天皇への配慮からか京都の街中にお城を築く事はなかった。 徳川家康は、京都の守る為に「殿様は常駐しない」「天守閣はない」が、いざという時には武士を集める事ができる二条城と、高台にあって京都市内を一望できる金戒光明寺に監視塔の役割とお寺という名目で武士を集める事ができる施設として金戒光明寺の設備の充実を図りました。 金戒光明寺の三重の塔が高台の見晴らしの良い所に建てられたのも監視塔の役割があった為です。 金戒光明寺から京都御所まで2〜3kmで急げば十数分で行く事ができる地理的な条件も好都合でした。 江戸時代は徳川の保護の元で、その役割を果たし、幕末になると会津藩とのかかわりから「新撰組発祥の地」などの形で歴史に関与する事になります。 その辺の話しは、また、よく調べてから追記します。 【追記】 「秋の特別公開」で山門に上がった様子やその後の新撰組とのかかわりについて調べて、こちらで紹介していますので参考にして下さい。 |
2009年05月05日
兎の岡崎神社(2009.5.5)
応仁元年(1467年)の兵火や享禄4年(1531年)の兵乱で焼失したが岡崎村の産土神として再建される。 岡崎村一帯には野兎が多く、東天王社は兎が氏神様のお使いとされ、その後、「兎の岡崎神社」として、兎は多産なことから子授けにご利益があるとして「子授けの神様」として祈願信仰されています。 岡崎神社の場所はこの辺です。 平安神宮や京都市美術館から東北の方向に歩いて数分の所で、南禅寺から西北の方向に歩いて10分弱の所で、岡崎神社から西に数分の所に銀閣寺に続く「哲学の道」があり、近くの名所や観光地へのアクセスも良いので「ついでに寄る」のも良いでしょう。 また、岡崎神社の北西には「くろ谷 金戒光明寺」があり、岡崎神社の西側の細い道を北上し、階段を上がって行くと大きなお寺が出現します。 岡崎神社の前には「岡崎神社前」という市バスのバス停もあります。 | |||||||||||||||||||
![]() |
![]() | ||||||||||||||||||
手水舎に鎮座する子授け兎
|
手水舎の兎と絵馬
| ||||||||||||||||||
![]() | |||||||||||||||||||
本殿横のこもかむりの横の白いものに注目
| |||||||||||||||||||
![]() |
![]() | ||||||||||||||||||
|
| ||||||||||||||||||
![]() |
![]() | ||||||||||||||||||
左右に白い兎が鎮座
| |||||||||||||||||||
![]() | |||||||||||||||||||
岡崎神社の境内のつつじも満開
|
本殿から鳥居の方向を見ると舞台があり、その手すりに左右に6つづつ兎が並んでいます。 これは社務所で売られている《うさぎみくじ(500円)》を参拝者が置いていったものでしょう。
| ![]()
| ![]()
うさぎみくじ(500円)
|
手すりに並べられたうさぎ
|
| ![]()
左右に6つづつ並べられていたうさぎ
|
【追記】(2010.10.16) | 平成22年10月1日、岡崎神社に狛兎が登場しました。 狛兎について詳しくはこちらを参考にして下さい。
| ![]()
| ![]()
左側の口を閉じた狛兎
|
右側の口を開けた狛兎
| |
2008年11月12日
紅葉の円通寺【比叡山の借景】(2008.11.12)
円通寺の庭はバックの比叡山を庭の風景の一部として取り入れて「借景」と言われています。 円通寺の建物は三千院などと比べると小さく、庭も質素ですが、比叡山を庭の風景に取り入れるとはスケールが大きいと思います。 パンフレットの写真では手前の庭とバックの比叡山が綺麗に写っているのですが、しょぼいデジタルカメラでは手前の庭に露出があってバックの比叡山が白く写ってしまいます。 デジタルズームで比叡山を大きく写してみたら比叡山に露出があって、少し綺麗に写す事が出来ました。 以前は円通寺の入り口に「撮影禁止」と書いてありましたが、平成12年10月12日から「借景の庭の撮影のみ可(建物や他の庭の撮影は禁止)」に変更になったそうです。確かに、「いつ、ビルが建って比叡山の借景が見られなくなるかわからないので撮影しておいて下さい」とアピールした方が「ビル建設反対」について多くの人を味方につける事ができるでしょう。 | |||||||||||||||||
![]() | |||||||||||||||||
円通寺に入る時にもらったパンフレットの写真を引用
| |||||||||||||||||
![]() | |||||||||||||||||
円通寺の庭の木の紅葉
|
無料駐車場は十数台分ありますが、バス用の駐車場はなく、パンフレットにも「団体(30名)の場合は前もってお申込下さい。」と書いてあります。 「円通寺」の場所はこの辺です。 拝観料は大人1人500円です。
| ![]()
| ![]()
「25%」の道路標識
|
「円通寺参道」の標識
|
| ![]()
| ![]()
円通寺の入り口
|
入り口を入って左手の鐘
|
| ![]()
右手が円通寺の建物の入り口
| |
2008年08月03日
東寺の五重塔
京都の名所は色々ありますが、東寺の五重塔は高さ54.8mで木造塔としては日本一の高さで今でも京都のシンボル的な存在と言えます。
国宝にもなっており、新幹線に乗って京都から大阪に動き出すと左手に東寺の五重塔が見えます。
東寺は毎月21日に屋台や古道具屋、植木屋の露店が並ぶ事でも有名で、客層も年配の人が多く、東京の人なら「とげぬき地蔵」を連想する人もいるかも知れません。 東寺の場所はこの辺です。 | |
![]() |
![]() |
【追記】(2010.4.7) 桜の時期の東寺の写真を撮ってきたので紹介しておきます。 毎月21日の縁日の様子は、こちらやこちらなどで紹介しています。 | |
![]() | |
シダレザクラと五重塔
| |
![]() |
![]() |
西から撮影した五重塔
|
北から撮影した五重塔
|
2008年07月13日
晴明神社
鳥居には、普通、神社の名前が書かれていますが、晴明神社のシンボルである☆印が描かれているのも、こうして見ると貫禄を感じます。 ☆印は宇宙をあらわし、その中心は厄除けの意味があり、境内では☆印のお守りも売られています。 陰陽師ブームで安部晴明が注目されるようになり、晴明神社に参拝する人も多くなったのか、境内も小奇麗に整備されています。 「あの世」と「この世」をつなぐとされた一条戻橋は安部晴明と関係が深く、平成7年に橋を架け替える際、橋の欄干を晴明神社の境内に復元したという事です。 伝説では、晴明の父の保名が蘆屋道満(あしやどうまん)に殺害された場所で、晴明が呪法を駆使して保名を蘇生させた場所でもあります。 また、晴明は二人の式神(しきがみ)を、この橋の下に隠していたとされます。 延喜18年(918)、死んだ文章博士・三善清行の葬列が、この橋を渡っている際に、 息子の祈りによって蘇生したという伝説もあります。 晴明神社の隣に「陰陽師グッズ」を売っているお店があるのも「陰陽師ブーム」によるものでしょう。 晴明神社の公式のHPもあったので参考にして下さい。 晴明神社 京都市上京区堀川通り一条上る806 рO75−441−6460 9:00〜18:00 無休 晴明神社の場所はこの辺です。 | ||||||||
![]() | ||||||||
晴明神社の二の鳥居から本殿を見た所
|