2009年12月31日

三宅八幡宮の狛鳩

三宅八幡宮の一の鳥居

三宅八幡宮のニの鳥居

 冬になると話題も少なくなりますが、今年は「狛猿」や「狛鼠」を紹介してきたので、今日は三宅八幡宮の狛鳩を紹介します。 三宅八幡宮の場所はこの辺です。
 三宅八幡宮の一の鳥居は高野川のこの辺にありますが、ここからニの鳥居まで400mほど(徒歩6分ほど)あります。 三宅八幡宮の一の鳥居が高野川の近くにある事に何か意味があるのかと思って三宅八幡宮のHPを調べてみたのですが、特に説明はありませんでした。
 二の鳥居をくぐって参道を歩くと左手に像がありましたが、この像についてのHPに説明はありませんでした。
 もう少し参道を歩くと右手に『池と噴水』と『水車小屋「村の水車」の水車』があります。 噴水は昭和5年に設置されたもので、水車は動いていませんが、以前、このあたりで動いていた水車を昭和62年に修理して移築されたものだとHPで説明されていました。
 そして、三宅八幡宮の四の鳥居の両側に《狛鳩》がいます。 境内にも鳩が多いとHPで説明されていましたが、この日は本物の鳩は見かけませんでした。
 HPの説明によると「春の桜」や「秋の紅葉」の隠れた名所という事なので、また、春に訪れたいと思います。

左手に像

右手に池と噴水

水車小屋「村の水車」の水車

三宅八幡宮の四の鳥居(両側に狛鳩)

左側の狛鳩

右側の狛鳩

三宅八幡宮の拝殿

三宅八幡宮の本殿



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2009年11月29日

紅葉の今宮神社(2009.11.29)

今宮神社の鳥居

今宮神社の楼門

 今宮神社に立ち寄って紅葉の様子を見てきました。 今宮神社というと東門の前の道を挟んで《あぶり餅本家根元かざりや》と《元祖いち和あぶり餅一文字屋》の2軒の《あぶり餅》のお店があるという事で有名ですが、日曜の夕方に行ったので多くの人が訪れて待ち時間も出来ていたようです。 並ぶのは嫌いなので《あぶり餅》のお店の写真だけ撮って、今宮神社の境内の方に行きました。
 今宮神社は、大国主命、事代主命、櫛稲田姫命の三柱を祀る神社で、平安京に流行した疫病を鎮める目的で創建されました。 境内には、素戔鳴尊を祀る疫神社などがあり、また、社殿の西南の前には、「三度、叩いて持ち上げ、再度、願い事を込めて、三度、手の平で撫でて持ち上た時に軽ければ願いが成就する」と言われる阿呆賢さん(神占石)もあります。
 今宮神社は千本北大路の東北の方向に直線距離で500mくらいの所にあり、この辺です。

道を挟んで2軒の《あぶり餅》のお店
《あぶり餅本家根元かざりや》と《元祖いち和あぶり餅一文字屋》

南側の《かざりや》

北側の《一文字屋》

今宮神社の東門付近の紅葉

東門を入った所

境内から東門を撮影

拝殿の前の紅葉

本殿の西付近の紅葉

阿呆賢さん(神占石)

阿呆賢さん(神占石)とその説明文

今宮神社の本殿

本殿を南東から撮影

本殿と拝殿と紅葉を撮影

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2009年11月28日

正伝寺《比叡山の借景・血天井・紅葉》(2009.11.28)

正伝寺の山門

山門付近から見た比叡山

 《正伝寺》に行ってきました。 実は11月12日にも正伝寺に行こうと思って行ったのですが、場所がわからず、引き返してきましたが、「こんな所にもお寺があるのか?」と思って入り口の写真を撮っていたのですが、それが正伝寺でした。 入り口の石碑には「吉祥山 正伝護国禅寺」と書いてあり、お寺の名前が「うろ覚え」だったので、これが正伝寺だと気がつきませんでした。
 正伝寺の入り口(山門)はこの辺ですが、そこから長い坂道の参道が続き、正伝寺の本堂はこの辺にあります。
 「比叡山の借景」といえば《円通寺》が有名ですが、正伝寺は円通寺より東に3kmくらい離れています。 山門付近から見た比叡山は、かなり民家に隠れています。
 長い坂道と階段を上がった所に正伝寺の本堂があり、拝観料300円を払って、中に入った左手が比叡山の借景の庭です。 最初に庭を見た印象は「円通寺の庭と比べて小さい」という感じです。
【追記】
 2010,4,1 より本殿の屋根の葺替の為、拝観料は大人300円から大人400円に値上げされています。

長い坂道と階段の上に正伝寺

正伝寺の本堂

拝観料大人300円

比叡山の借景の庭園

庭の全貌

紅葉の見える角度から比叡山を撮影

比叡山をズームで撮影

さらに比叡山をズームで撮影

正伝寺の庭の広縁の天井

 正伝寺の庭の広縁の天井は、1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いの直前、徳川家康は会津の上杉景勝討伐に向かう為、留守居として鳥居元忠以下1200余名が伏見城を守っていましたが、機会を待っていた石田三成の軍勢9万が伏見城を攻撃し、落城の際、鳥居元忠ら380名以上が自刃し、鳥居元忠らの遺骸は関ヶ原の戦いが終わるまで約2ヶ月もの間、伏見城に放置され、その血痕や顔や鎧のあとが縁側の板に染み付き、いくら拭いても洗っても落ちず、そこで縁側からその板を外し、供養の為に寺に移したもので、『血天井』と言われています。
 『血天井』は正伝寺の他に、鷹ヶ峰の麓にある「源光庵」、三十三間堂の近くにある「養源院」、大原の「宝泉院」、宇治の「興聖寺」、八幡の「神応寺」などに残されています。

正伝寺の鐘付近の菊と紅葉

帰り道の階段の紅葉

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2009年11月26日

知恩院《紅葉の時期編》(2009.11.26)

北側から入るとお城のような石垣

お城のような石垣と階段が続きます

 紅葉の時期の知恩院に立ち寄ってみました。
 天皇への配慮により京都にはお城は作らず、徳川幕府は《金戒光明寺》と《知恩院》を有事の際にはお城として使えるように、小高い山の中腹に作ったと言われています。
 歴史的にも京都にお城が存在したのは、戦国時代の短い期間、嵐山と銀閣寺の近くの小高い丘にお城がありましたが、それ以外で、京都御所から一番近いお城は伏見桃山城で10km位、離れています。 二条城には天守閣はないのでお城ではないそうです。
 『徳川将軍が京都にいる時、謀反が起こったら徳川将軍が二条城から知恩院に逃げられるように二条城から知恩院まで地下通路がある』という噂もありますが、途中に鴨川があり、流石に、江戸時代の技術で二条城から知恩院まで地下通路を作るのは無理でしょう。
 知恩院について調べて書き出すと山ほど出てくるので、随時、追加して行きます。 とりあえず、今回は知恩院の紅葉を中心に紹介します。 知恩院の場所はこの辺です。

ようやく、北門

《北門》と書かれています

北門を入った所の紅葉

阿弥陀堂

知恩院境内地図

宝佛殿の横の椿の花

経蔵の横の紅葉(ここで写真を撮る人が多かったです)

経蔵

御影堂

有名な御影堂の忘れ傘

御影堂から経蔵を見た所

御影堂から円山公園方向を見た所

鴬張りの廊下

鴬張りの説明文

 この後、方丈庭園に入ってみました。 御影堂から鴬張りの廊下の先にある集会室、大方丈、小方丈の建物は中には入れませんが、庭の外から見る事ができます。

方丈庭園の池と紅葉

大方丈(江戸時代に、将軍が大名と謁見する時に使われた)

小方丈(将軍が上洛された折にお泊りになった所)

二十五菩薩の庭

山亭庭園から京都市内を見た所

千姫の墓

千姫の墓あたりの紅葉

勢至堂

御廟に上がる階段

御廟拝殿から下を見た所

階段の上から御影堂を見た所(階段を下りると御影堂)

三門に下りる急な階段

三門の南に友禅苑の入り口

知恩院の三門(帰りは三門をくぐって帰りました)

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2009年11月22日

《くろ谷 金戒光明寺》の「秋の特別公開」(2009.11.22)

《金戒光明寺》の高麗門

《京都守護職本陣》の看板

 《くろ谷 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)》の「秋の特別公開」で山門に上がれるという事で行ってきました。
 《くろ谷 金戒光明寺》は、平安神宮の東北の岡崎通丸太町から北上して、突き当たりの三叉路を東に100mほど行くと《金戒光明寺》の高麗門に行き当たります。 高麗門の左側には《京都守護職本陣》と書かれた真新しい看板が掛けられています。

 幕末の頃、幕府は京の治安維持を建て直すために、京都守護職を新設し、松平容保が京都守護職を務める事になり、文久2年(1882年)12月、藩兵千名余りを率いて上洛した松平容保は、すぐに京都守護職屋敷が用意できないので、この金戒光明寺を本陣として使用する事になった。 翌文久3年(1883年)1月、清川八郎の建策(けんさく)を受け入れ、将軍警護の名目で浪士を募集し、芹沢鴨、近藤勇、土方歳三らと共に上洛したが、清川八郎が尊皇攘夷派と画策している事が露見し、清川八郎は江戸に戻され、残された芹沢鴨、近藤勇、土方歳三らは、松平容保と接見して、京都守護職松平容保の支配下に入り、京都の治安維持にあたり、壬生村の八木邸や前川邸などを屯所とし、「壬生浪士組」を結成し、その後、「新選組」と拝命することになります。 従って、金戒光明寺は新撰組ファンにとっては「新撰組発祥の地」として知られています。

 今回、上がった山門は1860年に落成し、ペリー来航が1853年なので幕末の混乱期に出来た事になります。 《くろ谷 金戒光明寺》の山門の場所はこの辺です。

山門を南から見た所

山門を北から見た所
秋になって色づいたのではなく、

新芽から赤い葉の種類でした
(2009.4.26 撮影)

拝観料800円を払って急な階段を上がります

山門から北の方向を撮影

山門から南方向を撮影(正面に知恩院、右端に平安神宮の鳥居)

山門から西方向を撮影(京都ホテルオークラが目立ちます)

山門から西南方向を撮影(京都タワーと京都駅ビルが目立ちます)

 その後、降ってきた雨が止みそうにないので、境内をぐるっと歩いて帰りました。

御影堂《大殿》

阿弥陀堂《ノミおさめ如来》

金戒光明寺の池の付近の紅葉

 「くろ谷 金戒光明寺」の「春の特別公開」(2009.5.6)で、《紫雲の庭》を見学した時のレポートは、こちらで紹介していますので参考にして下さい。

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2009年11月08日

伏見稲荷大社、そろそろ紅葉(2009.11.8)

伏見稲荷大社の鳥居

 そろそろ、木々も色づき始めた11月8日に伏見稲荷大社に行ってきました。 実は、この日の午後2時から火焚祭があったのですが、これには間に合わなかったので、千本鳥居、稲荷山を歩いてきました。 伏見稲荷大社の場所はこの辺です。

 お土産物屋や露店が並んだ参道を歩いて行くと楼門が見えてきました。 天気が良かったので人も多かったです。 本堂付近の紅葉もそろそろ始まっていました。

参道を歩いて行くと

伏見稲荷大社の楼門

伏見稲荷大社の本殿

伏見稲荷大社の本殿付近の紅葉も始まっています

本殿の奥に進んでゆくと

 本殿の奥に進んで行くと「千本鳥居」の入り口があります。 何本もの鳥居のトンネルをくぐると最初の分かれ道があり、ここで写真撮影する人も多かったです。
 千本鳥居を抜けると奥社奉拝所と言われている社殿があり、この辺で写真撮影をしている修学旅行生もいました。 しかし、この先では修学旅行生は見かけなかったので、日の暮れる時間なので、ここで引き返したのでしょう。

千本鳥居の入り口

最初の分かれ道
写真撮影する人も多かった
鳥居のトンネルが続きます

奥社奉拝所付近の修学旅行生

まだまだ鳥居は続く

途中にある新池

明治44年や平成20年の建之

途中にある茶屋

四ッ辻にあるマップ

 四ッ辻まで来ました。 四ッ辻には市内が展望できるベンチもあります。
 四ッ辻にあるマップを見て、午後5時前で、そろそろ、暗くなってきたので、行こうか、どうしようか迷ったのですが行く事にしました。
 結局、40分ほどかかって、三ノ峯から一ノ峯を回って戻って来ると、四ッ辻からの景色は夜景になっていたので、午後5時頃と午後5時40分頃の写真を並べて紹介します。
 四ッ辻から来た道を戻ったつもりですが、来た道とは別の道を下ったようです。 最終的には元の本殿まで戻る事は出来たので問題はありませんが、暗くなると足元が見えにくくなるので気をつける必要があります。

四ッ辻からの景色《午後5時頃、撮影》

四ッ辻からの景色《午後5時40分頃、撮影》

一ノ峯

二ノ峯

間ノ峯

三ノ峯



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2009年10月15日

青蓮院門跡の国宝青不動明王ご開帳(2009.10.15)

《青蓮院門跡》の入り口

観光バスの団体もたくさん

 青蓮院門跡の国宝青不動明王ご開帳に行ってきました。 但し、基本的にお寺の建物中は撮影禁止なので、写真は庭と建物の外観しか紹介できません。

 まず、『門跡』というと「門の跡しか残っていないの?」と思う人がいるかも知れませんが(そんな風に思う人間は誰もいないって?)、門跡というのは、皇子・貴族などの住する特定の寺の事で、宇多天皇が出家して仁和寺に入ったのに始まり、門主(住職)が皇室もしくは摂関家によって受け継がれてきたお寺の事を門跡寺院と言います。 「京都五ヶ室門跡」とは「妙法院門跡」「三千院門跡」「青蓮院門跡」「曼殊院門跡」「毘沙門堂門跡」の五ヶ寺を指します。 青蓮院門跡は知恩院の北に隣接していて、この辺にあります。

 平日の午後だったのに、観光バスの団体も来ており、かなりの人でした。 中に入るのに特に待つ事はなかったですが、土日になると中に入るのに行列が出来ます。 料金は「大人 個人 1000円」で拝観料としては高い方です。 中に入ると、順路通りに進むと建物の中に入って、その後、庭を散策して出口に出ます。

入り口の受付

料金(大人 個人 1000円)

左から建物の中に入って順路通りに進むと右から出てきて庭に

建物から庭を見た所(クリックすると大きな画像で表示)

庭におりて庭から「建物」と「庭を見ている人」を撮影

夜間拝観のライトアップ用のライトも設置

庭におりて庭を撮影(クリックすると大きな画像で表示)

【動画】鐘を撞く人


 出口の少し手前に鐘があり、「ご自由にお撞き下さい」と書いてあり、この鐘を撞いている人も多かったです。

 庭の雰囲気は写真ではうまく伝わらないと思います。 また、人の少ない時に、のんびりと庭を眺めたり、散策したい所で、平日だったので、まだ、人は少なかったですが、土日の人の多い時に薦められる所かどうかは「?」です。

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2009年10月10日

粟田神社の神幸祭は10月12日

粟田神社の二の鳥居

粟田神社大祭のポスター
(クリックすると大きな画像で表示されます)
 京都では体育の日を含めた三連休にはあちこちで秋祭がありますが、その中の1つの粟田神社の神幸祭は10月12日に行なわれます。 神幸祭の直前の粟田神社に立ち寄ってみました。

 粟田神社の神幸祭の剣鉾は祇園祭の山鉾の原形とされています。 剣鉾とは、長さ6〜7mの棒に剣先が取り付けられたもので、重さは30〜40kgあり、剣鉾を腰につけた差し革で支え、バランスを取りながら練り歩くことを「鉾差し」と言います。
 剣鉾に絢爛豪華な装飾を施して車輪を取り付けたのが祇園祭の山鉾で、昔ながらの姿を残しているのが剣鉾です。 剣鉾は他のお祭でも登場しますが、粟田神社の神幸祭では京都では最大級の6基の剣鉾が練り歩きます。

 粟田神社は京都の七口のひとつの「粟田口」にあり、東海道の始点の「三条大橋」の1kmほど東にあり、旅の安全を祈り、旅人の守護神として信仰を集めています。 旧東海道は現在の三条通より一筋南の粟田神社の二の鳥居の前の通りでした。
 粟田神社の場所はこの辺で、長い階段を上がり、高台にあります。 お祭の前なので、境内には剣鉾やお神輿などが展示されていました。

長い階段を上がります

右手に狛犬と馬の像

階段を上がると拝殿と剣鉾

拝殿に陳列されたお神輿を後から見た所

拝殿横に陳列された出し物

こちらにもお神輿

粟田神社の本殿

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2009年09月27日

大豊神社の狛鼠、狛猿、狛鳶、狛狐たち

大豊神社の一の鳥居

まっすぐ続く参道(右手に清宗庵)

 大豊神社(おおとよじんじゃ)はかつて椿ケ峰天神(つばきがみねてんじん)と呼ばれていて、背後にある椿ケ峰の山中にあり、寛仁年間に現在地へ移動した古い神社です。 ここに神のお使いの狛鼠、狛猿、狛鳶、狛狐たちがいるという事で行ってきました。 大豊神社の場所は南禅寺の北北東1kmほど(徒歩20分弱)のこの辺です。

 鹿ケ谷通に大豊神社の案内の看板があったので、そこから東に入ると一の鳥居があります。 ここから両側に人家がある道を歩いて、哲学の道も通り越して、右側に大きな料亭(清宗庵)があり、その先に二の鳥居があります。 鳥居の横にいるのは普通の狛犬です。
 二の鳥居をくぐると左手に手水舎があり、『椿ケ峰の御神水』と書かれていましたが、手水鉢には水は注がれていませんでした。 しばらく、雨が降っていないので、山からの湧き水は枯れたのでしょうか?

 その先の拝殿、三の鳥居に進んでも普通の狛犬しかいません。

大豊神社の二の鳥居

二の鳥居の左手の手水舎

拝殿

三の鳥居

本殿

本殿横の案内

 本殿まで来ると「愛宕社 狛鳶(コマトビ) 日吉社 狛猿(コマザル)」の案内がありました。 本殿から左に行くと1つの屋根に左側に愛宕社、右側に日吉社があり、その手前に狛鳶(コマトビ)と狛猿(コマザル)が鎮座しています。 狛猿の表情は、新日吉神社のご神猿と比べて愛嬌があります。

1つの屋根の左側に愛宕社、右側に日吉社

左側の愛宕社の狛鳶(コマトビ)

右側の日吉社の狛猿(コマザル)

 本殿から右に行くと、美田稲荷社があり、お稲荷さんといえば狐で、鳥居の前には狛狐がいます。
 その先にあるのが大国社で、その両側には狛鼠がいます。 左右の狛鼠の格好はずいぶん違います。 左側の狛鼠は妊娠して、お腹が大きいのかと思ったら、長寿を表す水玉(お酒)を抱いているそうです。 右側の狛鼠は立ち上がって学問を表す巻物を持っています。 大国社には縁結び・学業・子授け・安産のご利益があるそうです。

美田稲荷社と狛狐

大国社と狛鼠

左側の妊娠しているのかと思ったら水玉(お酒)を抱いている狛鼠

右側の立ち上がって巻物を持っている狛鼠

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2009年07月29日

三十三間堂

《三十三間堂》

駐車場入り口(40分無料)

修学旅行か子供だけで見学

拝観料大人600円

 三十三間堂は横はよく通りますが、観光客に意外と人気があるようので久々に中に入ってみました。 「なぜ、人気があるのか?」を考えながら紹介します。

 まず、「京都駅から近い(1km余りで徒歩十数分)」という事と、今回、中に入ってみてわかったのですが、街の中にあるお寺なのに「参拝の駐車40分は無料」という事です。 しかし、どちらも、あまり知られていない事で、京都駅からのバスを質問する人もいますが、徒歩十数分ならバスが来るまでの待ち時間を考えると歩いた方が早いでしょう。 京都駅から徒歩で行く場合、北の方向に200mほど歩いて、七条通を右折して東の方向に歩いて、途中、鴨川(七条大橋)を渡って1kmほどで三十三間堂で場所はこの辺です。

 「拝観料大人600円」を払って中に入ります。 しかし、お寺の多くは「建物内の撮影は禁止(庭は可)」となっていて、建物内の写真を撮る事はできませんでした。

 三十三間堂の特徴は「約120mの建物」と「千一体の観音像」でしょう。 柱の間が33ある事から《三十三間堂》と言われており、正式名称は《蓮華王院》です。

 三十三間堂は長寛2年(1164年)に平清盛が造進したが、約80年後に消失。 文永3年(1266年)に再建され、その後、室町・桃山・江戸・昭和の4回の大修理をしていますが、地震や火事による損傷を免れて、現在に受け継がれているのも貴重な存在でしょう。

 建物内の写真は紹介できませんが、建物に入って、「千一体の観音像」を見て感じる事は、人それぞれ違うでしょうが、「何の為に、こんな観音像を作ったのだろうか?」と考えてしまいました。信仰心からか、権力誇示の為か?  また、「千手観音」の手はどこから出ているか気になりませんか? ワキや横腹から出ているのでしょうか? それは自分で確認して下さい。

本堂を出た所から撮影

手水舎

東大門

《三十三間堂》横に長い建物なので正面から全景を撮影するのは難しい

posted by 京都情報 at 20:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | お寺や神社の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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