平安時代初期、小野篁(おのたかむら)(802-853)は冥土で生身の地蔵菩薩に出逢い、その教えにより蘇生し、852年、木幡山の桜の大木から6体の地蔵尊像を刻んで、木幡の里(現在の大善寺)に安置したとされ、保元年間(1156-1159)、都で疫病が流行した際に後白河天皇が都の出入り口に6体の地蔵尊を祀るよう平清盛に命じ、その後、地蔵尊の数や場所は変遷しましたが、江戸時代の寛永年間(1661-1673)に、ほぼ現在の形になり、8月22日23日に《六地蔵巡り》が行われています。 まず、最初、8月22日に《桂地蔵寺》に行く前に訪れたのは《常盤の源光寺(常盤地蔵)》で場所はこの辺です。 源光庵とも呼ばれる尼寺で、ここは源義経の母、常盤御前の生地で、御前が営んだ庵の跡地と伝えられていて、境内には御前の墓があります。 6つのお寺の中で、一番、人も少なく静かでした。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
源光寺の本堂
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美薬大菩薩
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こちらで御札をいただく
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大善寺は浄土宗の寺で通称の「六地蔵」の名で知られていて、慶雲2年(705)、藤原鎌足の子・定慧(じょうえ)によって創建されたと伝えられており、大津の三井寺(円城寺)を開いた智証大師円珍が、天台密教の寺として開基したのが始まりで、地蔵堂に安置する木像地蔵菩薩立像(重文)は小野篁が木幡山(こばたやま)の一本の桜の大木から刻んだ六体の地蔵菩薩像の一つといわれています。 他のお寺では午後8時頃から六斎念仏や演芸会が始まるので午後8時前に行ったら十分か思ったら入口には灯りのついた提灯が下げられていましたが、境内に入ると後片付けをしたり世話人の人が帰って行く所でした。 入口の横に8月22日(午後7時半〜8時半)の桂紅雀の地蔵盆落語会の案内のポスターが貼られていて、来年の8月22日はここに来てみようと思いました。
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大善寺の地蔵堂「後片付けの最中」
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地蔵堂の裏には多くのお地蔵さん
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大善寺の南門
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大善寺の駒札
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徳林庵は南禅寺第260世住職の雲英正怡禅寺によって1550年に創建された臨済宗南禅寺派のお寺で、852年小野篁公が木幡山の桜の大木で作った京六地蔵尊の中のひとつの3メートル弱の地蔵菩薩像があります。 《六地蔵の大善寺(伏見六地蔵)》では後片付けをしていたので徳林庵も同じ様に後片付けをしているかと思って行ってみると、京阪山科駅の少し南から東方向に徳林庵に続く通りには露店が並んでいて多くの人が歩いていて、《六地蔵巡り》の中では、一番、人出が多かったと思います。 10分余り歩いて徳林庵に到着しましたが、本堂の前には参拝の為に行列が出来ていて、この行列に並んで5分ほどで参拝する事が出来ました。
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10分余り歩いて徳林庵に到着
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本堂の前の行列に並んで5分程で本堂の前まで来て
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徳林庵の本堂で参拝
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少し横に移動すると地蔵菩薩像の顔が見えた
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境内の様子「最近、こういう光景が普通になってきたみたいです」
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この左奥に行くと、このあたりには人はほとんどいなかった
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もう一度、境内の様子
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2012年08月23日
六地蔵巡り《源光寺》《大善寺》《徳林庵》(2012.8.22〜23)
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