実は、《桝富》が夕方は午後5時から開店という事で5時すぎに行ったら、まだ、「支度中」の札が掛かっていたので時間つぶしに歩いてみました。 三条通から北は白川沿いの道はなくなり、白川の両側は家になりますが、少し西の通りを北上すると(《桝富》の前を通って50mほど行くと)、また、白川沿いに小道があります。 白川沿いには昔ながらの家や建て替えられた家やマンションが混在しています。 さらに白川沿いの小道を北上すると二羽の鴨がのんびりと泳いでいました そういえば《桝富》のメニューに「鴨せいろ」「鴨なんば」があったけど「まさか、この鴨が料理される訳ではないでしょうね」と思いつつ、さらに北上しました。 仁王門通の少し手前あたりに、橋げたがなくなって橋脚だけが残されたような石柱が白川の中にありました。 自然石にしては綺麗な立方形で、縦に溝があるし、コンクリートにしては表面がざらざらで、いつごろに作った物か(100年以上経っている物とも思えないし、最近、作った物でもなし)と思いつつ、写真を撮ってきました。 30〜40m北には仁王門通があるので、明治以降、疎水が出来てから、こんな所に橋を作るのも少し変です。 | |||||||||||||||||||||||
この辺にはマンション
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白川に鴨が泳いでいました
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橋脚だけ?(縦の溝は何の為?)
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すぐ向こうには仁王門通
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仁王門通と平安神宮の鳥居
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白川と疎水がT字で合流している地点(水面は水門以下)
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仁王門通の北の疎水にも鴨が十羽ほど泳いでいました
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疎水が出来た頃は、動物園の南東角あたりで白川と疎水が合流し、ここで、再び、白川と疎水は分かれていました。 しかし、写真を見ると、この時は疎水から白川に水は流れ込んでいないので、今は別のルートでも白川に水が流せるようになっているのかも知れません。 疎水にも、泳いだり、潜ってえさを捕っている鴨がいたので動画も撮影してきました。
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古い事は古くから住んでいる地元の人に聞けば良いのだと思い、そう言えば、このブログに紹介するネタ集めで知り合った中に最適の人がいたので、不思議な石柱について《不思議な道具屋》に聞きに行って来ました。 「いつ頃まで橋が架かっていたのですか?」と聞くと「あれは橋を違ごて、あそこに板を差し込んで水をせき止めてプールにしてたんや。土橋のプールと言うて、昭和30年代、40年代頃には、夏になると、あの辺に食べ物(心太やアイスクリーム等)も売りに来てて子供にとってはそれも楽しみやった。動物園の汚水が流れてくるので、あそこで泳いだ後は目薬をささなあかんと言うてた。けど、別に何ともなかったけどな〜」いう話しでした。 また、「土橋のプールの底だけ、他と違って石ころと違ごて、砂になっている筈や」という事だったので、再度、川底の写真を撮って来たら、確かに水門跡の石柱を境に明らかに川底の様子は違いました。 板を差込むのなら溝があるのも納得できるし、見た感じの古さ加減も話しのつじつまがあいます。 そう言えば、昭和30年代、40年代には「嵐山の渡月橋の少し下で川底を掘り下げてプールにしていた」という話しもあります。
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水門跡の石柱を境に左側は石ころが多いですが右側は石ころが少ないです
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夏(2009.7.11)、白川の一本橋の近くを通りかかると(場所はこの辺)、遊びに来た子供達が、ひざ下くらいの水深しかない所で泳いでいました。 ひざ下くらいの水深しかないので「泳いでいた」と言って良いのか、「水につかっていた」と言えば良いのか・・・という所です。 水をせき止めて、もう少し水深を深くした方が子供達も喜ぶのでしょうが、おそらく、「衛生」「安全」「管理責任」などの問題があるのでしょう。 最近、屋外プールはどんどん少なくなってきていますが、「子供が外で遊ばなくなった」と言っても環境の変化も大きいでしょう。(ここ十数年で閉鎖された屋外プールは「伏見桃山城キャッスルランド」「八瀬遊園地」「ホリディイン京都」など)
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これはもう『格好も気分も水泳』ですね《 2009.7.11 撮影》
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2010年01月26日
《白川》三条通〜仁王門通(橋脚の跡の様な石柱の謎)
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