2009年11月22日

《くろ谷 金戒光明寺》の「秋の特別公開」(2009.11.22)

《金戒光明寺》の高麗門

《京都守護職本陣》の看板

 《くろ谷 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)》の「秋の特別公開」で山門に上がれるという事で行ってきました。
 《くろ谷 金戒光明寺》は、平安神宮の東北の岡崎通丸太町から北上して、突き当たりの三叉路を東に100mほど行くと《金戒光明寺》の高麗門に行き当たります。 高麗門の左側には《京都守護職本陣》と書かれた真新しい看板が掛けられています。

 幕末の頃、幕府は京の治安維持を建て直すために、京都守護職を新設し、松平容保が京都守護職を務める事になり、文久2年(1882年)12月、藩兵千名余りを率いて上洛した松平容保は、すぐに京都守護職屋敷が用意できないので、この金戒光明寺を本陣として使用する事になった。 翌文久3年(1883年)1月、清川八郎の建策(けんさく)を受け入れ、将軍警護の名目で浪士を募集し、芹沢鴨、近藤勇、土方歳三らと共に上洛したが、清川八郎が尊皇攘夷派と画策している事が露見し、清川八郎は江戸に戻され、残された芹沢鴨、近藤勇、土方歳三らは、松平容保と接見して、京都守護職松平容保の支配下に入り、京都の治安維持にあたり、壬生村の八木邸や前川邸などを屯所とし、「壬生浪士組」を結成し、その後、「新選組」と拝命することになります。 従って、金戒光明寺は新撰組ファンにとっては「新撰組発祥の地」として知られています。

 今回、上がった山門は1860年に落成し、ペリー来航が1853年なので幕末の混乱期に出来た事になります。 《くろ谷 金戒光明寺》の山門の場所はこの辺です。

山門を南から見た所

山門を北から見た所
秋になって色づいたのではなく、

新芽から赤い葉の種類でした
(2009.4.26 撮影)

拝観料800円を払って急な階段を上がります

山門から北の方向を撮影

山門から南方向を撮影(正面に知恩院、右端に平安神宮の鳥居)

山門から西方向を撮影(京都ホテルオークラが目立ちます)

山門から西南方向を撮影(京都タワーと京都駅ビルが目立ちます)

 その後、降ってきた雨が止みそうにないので、境内をぐるっと歩いて帰りました。

御影堂《大殿》

阿弥陀堂《ノミおさめ如来》

金戒光明寺の池の付近の紅葉

 「くろ谷 金戒光明寺」の「春の特別公開」(2009.5.6)で、《紫雲の庭》を見学した時のレポートは、こちらで紹介していますので参考にして下さい。



posted by 京都情報 at 19:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | お寺や神社の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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