日吉大社は平安京の鬼門封じの為に創祀されたのかと思ったら、日本書紀にも東本宮のご祭神である大山咋神は登場し、第10代崇神天皇(すじんてんのう)が創祀したと伝えられています。(崇神天皇の実在説と非実在説があり、これは神話の可能性があります) 比叡山の東の尾根にある牛尾山の大山咋神が最初に祀られた地主神で、のちに668年(天智7年)に三輪の大己貴(おおなむち)神を比叡の山口に勧請して大比叡神として大宮とよばれて西本宮にまつられ、大山咋神は小比叡神とされて東本宮にまつられました。 平安遷都で、鬼門除けに比叡山に延暦寺が建立されると、天台宗の護法神として、天台宗の興隆にともなって信仰を集め、平安京の鬼門除けの役割も担うことになりました。 しかし、武装した比叡山の僧徒たちが、日吉社の霊威を背景に神輿をかついで入京して、寺家側の主張を通すための手段として利用した事もあり、織田信長により1571年(元亀2年)、比叡山の延暦寺と共に日吉大社も焼き討ちされました。 その後、豊臣秀吉の援助により復興し、1583年(天正11年)から1601年(慶長6年)の間に上七社の造営がほぼ完成しました。 ちなみに、豊臣秀吉は1598年8月に亡くなっています。 日吉大社の入り口はこの辺で、京都から車で何回か琵琶湖に行った事のある人なら、道がカーブした所にある鳥居の前を通った事もあるかと思います。 鳥居をくぐると紅葉が始まっていました。 もう少し歩くと「拝観協賛料大人300円」と書かれた入り口があります。 この中に入ると普通に散策しても30〜40分かかります。(八王子山に登ると片道30分かかるそうで、階段と急な坂道で途中で諦めて引き返しましたが、ほとんどの人は最初から登っていません) | |||||||||||||||||||||||||
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日吉大社の全景図 (修学旅行生もいました) |
大宮橋付近の紅葉 (ここで写真を撮る人も多い) | ||||||||||||||||||||||||
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大宮橋から走井橋を見た所
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紅葉の参道が続きます |
変わった形の山王鳥居 神仏習学の信仰を表します | ||||||||||||||||||||||||
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神猿舎と神馬舎
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神馬は木の馬
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神猿は生きたお猿さん
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拝殿の横でお守りや鬼門除けグッズを売っていたので《神猿みくじ300円》と《神猿木彫(小)1500円》を買いました。
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向かって右手の楼門の軒下の「軒持ち猿」
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向かって左手の楼門の軒下の「軒持ち猿」(少しポーズが違います)
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西本宮の拝殿 | (鈴が5つも付いています)
西本宮の本殿の説明 | (1586年復興)
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西本宮の本殿(ロープが張られていて正面には立ち入れません)
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拝殿横で《神猿みくじ300円》と《神猿木彫(小)1500円》を買いました
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