粟田神社の鳥居 (三条通から見た所) |
先頭の《剣鉾》が接近
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鳥居の前にお祭の提灯が飾られていますが(露店を出す場所が少ない事もありますが)露店は1軒も出ておらず、お祭なのに静かでした。 最初、お祭の行列を待った場所はこの辺です。 《剣鉾》を担いで近づいてきて、すぐに《剣鉾》を立てて、また、電線に引っかかる所では《剣鉾》を寝かせて、また、立ててと、結局、100mくらいの距離で、立てて、寝かせてを2回やっていました。 《剣鉾》は粟田神社の神幸祭の見所の1つなので、できるだけ立てるようにしているのでしょう。 《剣鉾》の後、学園祭に出てきそうな「張りぼての人形(大燈呂)」が続いてきました。 これは、後で調べると、戦国時代の文献に記述があるものの、その後、途絶えていたものを現代の感覚で2008年に数百年ぶりに復活させたものとの事です。 今でこそ、「千年の歴史・伝統」とか言っていますが、当時の若者が「現在の学園祭のノリ」でやっていたのかも知れません。 この「張りぼての人形」には「ウェスティン都ホテル京都」や「中央信用金庫」の名前が書かれていて、今も昔もこの様なお祭は地元の商売人に支えられているのでしょう。
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《粟田大燈呂》
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《牛頭天王》
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《八岐の大蛇》
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坂道の参道を上がる《出世えびす》の後姿
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その後、本殿の前では、6基の《剣鉾》が舞殿のまわりを回っていました。 《剣鉾》は祇園祭の《山鉾》の原形で、《剣鉾》に絢爛豪華な装飾を施して車輪を取り付けたのが祇園祭の《山鉾》で、昔ながらの姿を残しているのが《剣鉾》です。 《剣鉾》は、長さ6〜7mの棒に剣先が取り付けられたもので、重さは30〜40kgあり、剣鉾を腰につけた差し革で支え、バランスを取りながら鉾の先の鈴を鳴らしながら練り歩き、《剣鉾》を次の人に渡す所も見所です。 ちなみに、この《剣鉾》は粟田神社が所有しているのではなく、各氏子の民家が所有しているものとの事です。そういえば祇園祭の《山鉾》も八坂神社が所有しているのではなく、各町内が所有しているものです。 その後、お神輿も到着して、お神輿も舞殿のまわりを回り、本殿前でお神輿が差上げられ、神事が行われました。
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本殿前のお神輿
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2009年10月12日
粟田神社の神幸祭(2009.10.12)
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