『鳥羽離宮(城南離宮)』の事は《城南宮》の駒札に『平安時代の末、この地に白川上皇によって造営され』『承久3年(1221)年、後鳥羽上皇が城南流鏑馬の武者揃えと称して兵を集め、鎌倉幕府との間で承久の乱が起きたことは名高い』と説明されています。 《鳥羽離宮跡公園》にも説明の看板はありましたが、下半分が消えて読めません。 公園としては「サッカーのゴールがある」「ジョギングができるコースがある」「ブランコなどの遊具があ」「池があり、池の中に鯉がいる」程度です。 公園の北側には離宮の築山跡の遺構と考えられる「秋の山」があり、頂上に大きな石碑が立っています。この碑は戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見の戦いを記念して、明治45年2月に立てられたものだそうです。 《鳥羽離宮跡公園》という名前が付いていますが『ここに鳥羽離宮があった』という事で、特に「鳥羽離宮の遺跡がある」「鳥羽離宮を再現した」というものはないので、そういうものを期待して行くと期待外れに終わるかも知れません。 | |||||
《鳥羽離宮跡公園》内の説明の看板 (下半分は文字が消えて読めない) |
サッカーのゴール
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ブランコなどの遊具
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池と鯉
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池と休憩所
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広いグランド
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鳥羽伏見戦跡碑
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注意書き
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2009年08月10日
《鳥羽離宮跡公園》(運動公園)
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