《八瀬遊園地》は1964年にオープンし、何回かリニュールして、名前も変えましたが、2001年11月30日に閉園して、その跡地にホテルが建てられ、2006年11月28日から営業しています。 「八瀬遊園地の跡地」という視点から表現すると「跡形もない」と言えます。 国道367号線から見た光景もずいぶん変わりました。 《八瀬遊園地》オープン当初は評判で、TVドラマなどにもよく登場した「50m円形プール」も今はありません。 京都新聞社のサイトに八瀬遊園地の昔の写真が紹介されていたので引用して紹介しておきます。 また、ほぼ同じアングルで写した現在の写真も紹介しておきます。(ずいぶん、雰囲気が変ってしまいました) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国道367号線から見た風景《川の右手にあったプールは今はない》
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島田紳助や明石家さんまが若手の頃、八瀬遊園地プールに営業に来た事を今でも話しのネタにしています。 同じ年に開園した伏見桃山城キャッスルランドも2003年1月31日に閉園しており、「時代の流れ」と言うものの、少し寂しい気はします。
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橋の向こう側の右手にあった《更衣室&レストランの建物》も今はない
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叡山(旧京福)電車の鉄橋
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プール跡地には和食レストラン
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まず、「離宮」という言葉には、本来、「皇居や王宮以外の地に定められた宮殿」という意味があります。 現存する「離宮」は「桂離宮」と「修学院離宮」だけで、過去には「二条離宮(現在の二条城)」「武庫離宮(現在の須磨離宮公園=神戸市)」「赤坂離宮(現在の迎賓館=東京都)」などがありますが「八瀬離宮」というのは歴史上、存在した事はありません。 (過去に「八瀬離宮」が存在し、その敷地や近くにホテルを建てる際に「地名」として「八瀬離宮」という名前を使うのは「よくある事」でしょうが、そうでないのなら誤解を招く恐れがあるでしょう) 「離宮と言える要素があるか?」と考えてみると、まず、宿泊するのは一般人で、経営も民間で「皇族」とは関係ありません。 また、「離宮」と言える日本古来の庭園や建物があるかと言えば、日本古来の庭園なら「池」「苔」「石(灯篭)」「砂利」などが中心となりますが、このホテルの中庭は「コンクリート造り」「人工の川」「左右対称の庭」で、これは「西洋風」「現代風」の庭ではないでしょうか? 「桂離宮」や「修学院離宮」なら申込めば無料で見学が出来ますが、このホテルではそういう対応もしていないようです。(《がんこ寿司二条苑》では旧角倉了以&山縣有朋の別邸の庭園を食事をしないでも無料で見学ができるのは「歴史遺産の共有」という意味で歓迎すべき対応と言えるでしょう)
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『離宮』という名前なのに、西洋風の庭がふさわしいでしょうか?
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このように考えてみると「離宮」と言える要素はなく、ただ単に「地方からの(あまり知識のない)観光客が喜びそうな名前を付けただけ」としか思えないです。
| 八瀬遊園地の開園の翌年に叡電(当時は京福)の駅名を「八瀬」から「八瀬遊園」に変更し、八瀬遊園地の閉園(閉園時は「森のゆうえんち」)の翌年、「八瀬比叡山口」に変更したが、駅名に「(八瀬)離宮」という言葉を使っていない事からも地元の人間は「離宮」という言葉を使うのはふさわしくないと考えているのかも知れません。
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レストランのオープンテラス
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温泉大浴場
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個人的には、せっかく、こんな山と木々に囲まれた場所に「離宮」という伝統ある名前のホテルを作るのなら「エアコンを(ガンガン)使うのが当り前」という雰囲気のホテルではなく、もっと「自然を大事にする」というホテルにして欲しかったと思います。 (例えば、水車による水力発電で館内の電力の一部を賄うとかですが、人工の川で水力発電をしてもメリットはないかも知れません) 【追記】 エクシブ八瀬付近の食事処等については《八瀬の散策レポート》を参考にして下さい。 【追記−紅葉の瑠璃光院はお勧め】 エクシブ京都八瀬離宮から木の橋を渡って徒歩数分の所(場所はこの辺)にある紅葉の時期の瑠璃光院はお勧めです。紅葉の時期は例年なら11月後半でしょう。
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《おまけ》瑠璃光院の紅葉<2010.11.23 撮影>
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2009年05月25日
八瀬遊園地の跡地《エクシブ京都八瀬離宮》
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後、「離宮」というのも、いろんな意味があるんだと知りました。
今回の旅の参考にさせていただこうと思います。
遊園地が次々と廃園に追い込まれるのは少子化のためかもしれません。
少子化はアニメ界にも影響を与えていて、鉄人28号を初めとするロボットアニメを弱らせた存在となっています。
でもつぶれたとなると寂しいです。