右上の写真はこの辺の南禅寺橋の上から撮影したものです。 同じ南禅寺橋の上から写したと思われる古い写真があり、了解が得られたので紹介します。 その後、桜の木が植えられ、夏なので葉が茂って、今はまわりの景色がよく見えませんが、冬に撮影すると右上のレンガ造りの発電所の建物も写るかも知れません。 (古い写真の右上に写っている路面電車は今は廃止されています) 【追記】 落葉時の写真を撮影してきましたが、雑草もなく、すっきりして、レールの様子もよくわかります。 しかし、街路樹が植えられているので、右上のレンガ造りの発電所を、この位置から撮影する事はできませんでした。 桜の時期の写真も撮影してきましたが、桜の時期には多くの人で賑わいます。 (桜の時期に蹴上インクラインを上流から下流まで歩いてレポートしていますので、こちらも参考にして下さい) | ||||||||
古い写真ではインクラインとして稼動していた時はレールの中央に台車を引き上げるケーブルが張られていたようですが今はこのケーブルは撤去されています。 南禅寺橋から反対の方向(北の方向)を写したのが右の写真です。 夏なので草が繁っていますが、手前の草がない部分(これは「琵琶湖疎水記念館」に行く通路)にレールがあるのが見えると思いますが、そこから先にレールが延びて、先の疎水下流で台車に舟を載せたものと思われます。 疎水の舟運としては、明治44年に渡航客約13万人(1日平均約400人)を記録していますが、大正4年に京阪京津線が開通し、渡航客は約3万人に減少しました。 その後は貨物輸送として活躍し、大正14年に22万3千トン、1日約150隻の往来を記録したのがピークで、昭和26年9月に砂を積んだ30石舟を最後に舟運60年の使命を終えたとの事です。 インクラインの上流の様子はこちらで紹介しています。 |
2008年08月24日
蹴上インクライン(昔の写真と今の写真を比較)
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ありがとうございます。
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出典元の場所(私のブログの名前)を明記することが条件です。
クライン様には拙ブログにてすでに使用許可願を書かれておりますので、資料を使用される記事内に
私のブログ名とリンクを張っていただければ(小さくても構いません)OKですよ。
申し訳ありません。最初のコメントにて
お名前を間違えておりました。
申し訳ありません。