2008年08月24日

蹴上インクライン(昔の写真と今の写真を比較)

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南禅寺橋の上から撮影

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写真提供:
まちかどの西洋館別館・
古写真・古絵葉書展示室


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落葉時(2009年3月12日撮影)

桜の時期(2009年4月11日撮影)
桜の時期(2009年4月11日撮影)

 琵琶湖疎水は「京都の水の確保」「京都と滋賀間を舟で人と貨物を運搬」「水車動力」などの目的で作られ、蹴上の落差を利用して発電所を作ったので舟で往来する事ができないので蹴上インクラインを作りました。 インクラインとは舟が上がれない急な坂を貨車を使って引っ張り上げるための施設(ケーブルカーの一種)の事です。 蹴上インクラインは延長581.8mで世界最長で、36mの標高差があり、勾配が15分の1で急なので、三十石舟をそのまま台車に乗せて上下させました。

 右上の写真はこの辺の南禅寺橋の上から撮影したものです。

 同じ南禅寺橋の上から写したと思われる古い写真があり、了解が得られたので紹介します。 その後、桜の木が植えられ、夏なので葉が茂って、今はまわりの景色がよく見えませんが、冬に撮影すると右上のレンガ造りの発電所の建物も写るかも知れません。 (古い写真の右上に写っている路面電車は今は廃止されています)


【追記】
 落葉時の写真を撮影してきましたが、雑草もなく、すっきりして、レールの様子もよくわかります。 しかし、街路樹が植えられているので、右上のレンガ造りの発電所を、この位置から撮影する事はできませんでした。

 桜の時期の写真も撮影してきましたが、桜の時期には多くの人で賑わいます。 (桜の時期に蹴上インクラインを上流から下流まで歩いてレポートしていますので、こちらも参考にして下さい)

台車が復元されています
台車が復元されています

南禅寺橋から北の方向を撮影

南禅寺橋の下を通るレールを撮影
 もう少し上がった所で撮影したのが右の写真で、右上に復元された台車があります。 歩道から、このレールに入る所に特に柵はなく(写真に写っている柵は歩道と車道を分離する柵)インクラインの下流から上流まで散策できます。 写真で見ればわかるかと思いますが「鉄道のレールと比べて幅が広い」です。 鉄道のレールは車体と比べてかなり狭いですが、レールの幅は台車の幅とほぼ同じで2m弱あります。
 古い写真ではインクラインとして稼動していた時はレールの中央に台車を引き上げるケーブルが張られていたようですが今はこのケーブルは撤去されています。

 南禅寺橋から反対の方向(北の方向)を写したのが右の写真です。 夏なので草が繁っていますが、手前の草がない部分(これは「琵琶湖疎水記念館」に行く通路)にレールがあるのが見えると思いますが、そこから先にレールが延びて、先の疎水下流で台車に舟を載せたものと思われます。

 疎水の舟運としては、明治44年に渡航客約13万人(1日平均約400人)を記録していますが、大正4年に京阪京津線が開通し、渡航客は約3万人に減少しました。 その後は貨物輸送として活躍し、大正14年に22万3千トン、1日約150隻の往来を記録したのがピークで、昭和26年9月に砂を積んだ30石舟を最後に舟運60年の使命を終えたとの事です。

 インクラインの上流の様子はこちらで紹介しています。

posted by 京都情報 at 03:33 | Comment(2) | TrackBack(0) | 蹴上インクラインの紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。私のブログにお越しいただき
ありがとうございます。
私のブログの資料の使用に関しては、使用許可願と
出典元の場所(私のブログの名前)を明記することが条件です。
クライン様には拙ブログにてすでに使用許可願を書かれておりますので、資料を使用される記事内に
私のブログ名とリンクを張っていただければ(小さくても構いません)OKですよ。
Posted by べーさん at 2008年08月24日 06:59
京都情報様

申し訳ありません。最初のコメントにて
お名前を間違えておりました。
申し訳ありません。
Posted by べーさん at 2008年08月24日 07:02
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