長い長刀振りかざし、牛若めがけて、切リかかる〜
という童謡でもお馴染みの牛若丸と弁慶の闘いの石造が五条大橋の上・・・ではなく、橋の西側にあります。 あまり有名ではないのは、片側3車線の国道1号線の中央分離帯にあり、近づいてゆっくり見られる状態でないのも理由の1つかも知れません。 漫画に出てくるキャラクターのような石造になっているのも賛否がわかれる所でしょう。(漫画チックなのにあまり可愛くないのもどうなのでしょう) 牛若丸と弁慶の石造の西側が池になっていて時間によって噴水になります。 石像のある場所はこの辺です。 当時の「五条大橋」は、ここではなく、現在の「松原通」付近にあったとの事です。 江戸時代初期、「五条通」は松並木が続く道だったことから「五条松原通」と呼ばれ、そのうち「五条」が省略されて「松原通」と呼ばれるようになり、なくなった「五条」の名前を復興させようと「六条坊門小路」を「五条通」と改めたと言われています。 その為、ほぼ等間隔の二条通、三条通、四条通から五条通との間隔は少し広くなり、五条通と六条通は少し間隔が狭くなっています。 |
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【追記】(2009.4.19) 五条大橋の西を歩いていると「どこかで見かけた石像がある」と思ったら、以前、五条通の中央分離帯にあった牛若丸と弁慶の石像でした。 石像の横に立て看板があり、次のように書かれていました。
感想としては「近くで見ると思ったより小さい」「石像は、ず〜っと、ここにあっても良いのではないか?」という所です。 現在の石像の場所はこの辺です。 |
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